これは考えてみると少し不思議でもあります。
どうせしばらくは「口をきいても気まずいだけ」だったり「相手は口もきいてくれな」かったりするのなら「仕事や読書にでも集中していたほうが気がラク」だと「あえて思わなくもない」からです。
げんにわたしも「あえてそのように考え、仕事にでも精を出そう!」としていたころが長かったのですが、実際にはなかなか「精が出ない」。
もちろん人にもよるでしょう。
わたしなんかより気丈な人も多いと思います。
配偶者の気分などに振り回されることなく、仕事をバリバリこなせるぞ!という強い人もあるとは思います。
「小学生」にはムリなこと
家族関係というのは、この言葉の使い方はいくらか不正確かもしれませんが、心理学で言う「転移」の起こりやすい関係です。
わたしは妻に、どうしてもいくらかは「母親」を感じてしまいます。だから妻に「怒られる」と「母親に叱られた子ども時代」に引き戻されてしまうのです。
子どもに、しかも「母親に叱りつけられたときの自分」に戻ってしまっては「仕事」になるはずがありません。
「母親の顔色をうかがう」ばかりで読書にすら集中できなくなるのは当然かもしれません。
面白いことに、自分の場合にはまさに「母に怒られたときの小学生」あたりに戻るせいか、こんなときでもマンガには集中できます。
というよりもマンガにはふだんよりも集中できてしまいます。
まさに「子ども返り」です。
ますます仕事は進まなくなるわけです。
やはり妻との関係をさっさと「正常化」するのが優先事項なのでしょう。
このさい気をつけるべきだといつも思うのは「母に叱られた子ども時代」を振り切って「中年の自分」に戻ることです。
そうしないと「妻との関係を正常化する」なんて「大人の仕事」はとても手に負えないからです。
小学生にはムリなことです。
この種のテーマでよく持ち出される
「心の中で自分を叱りつけた母親をゆるす」件についてもついでに考えます。
論理を詰めていくとなるほどこれは納得できます。
しかしわたしに関していうと「母親をゆるし」てもあまり効果が実感できません。
それよりも「母親に叱られて、みじめでみっともない自分」をゆるしたほうがはるかに効果が実感されます。
けっきょく、妻に叱りつけられて、みじめでみっともない自分は、じつはべつにみじめでもみっともなくもないように思えたとき、妻との関係は正常化されます。
それ以前に仕事が進められるようになります。
そのときまでに「小学生時代の自分」と「それを叱りつけた母」が私の心からスッと消えてしまうからなのです。