- 英語に限らず新しい外国語を学ぶときは単語の暗記よりもまず音をひたすら聴く
- その言語のしくみに注目する(“コード進行”を把握する)
- 音を覚え、その後で文字を見る、という順番は絶対に守る
新しい外国語を短期間で身につけられてしまう人がいる。
ここで言う「身につける」とは、その言語を母国語とする人と支障なく会話ができる状態。
たとえば、アメリカ人のシャオマさんは母国語の英語に加えて、中国語(北京語)を流ちょうに話す。
それでも、中国人たちと実に楽しそうにコミュニケーションを交わしている。
「これくらいナチュラルに話せるようになったらいいだろうな」と誰しも思うはず。
シャオマさんのYouTube動画の中で断片的に語られていた内容をまとめると、
- シャオマさんは現在NYのチャイナタウン在住
- 2009年に北京に1年間滞在し、そこで北京語をマスター
- 帰国後も勉強を続けて現在のレベルに到達
- 広東語も勉強中
- チャイナタウンに住んでいる中国人は福州出身の人が多いので福州語も勉強中
- 最近、20日間でスペイン語を話せるようになった(動画)
- 相手の母国語をマスターしてコミュニケーションを取るのが大好き
目的は言語を身につけることではなく、その言語を駆使して相手とコミュニケーションを楽しむこと。
そのパッションは動画からも伝わってくる。
とはいえ、「楽しみたい」だけでは身につかない。
24時間でどこまで韓国語を話せるようになるか
以下の動画ではタイトルのとおり、シャオマさんが24時間という時間制限を設け、時間内に韓国語をどこまで話せるようになるかのチャレンジを紹介している。
- 24時間は睡眠時間も含むので純粋な勉強時間はもっと少ない
- 韓国語の勉強経験はゼロ
この動画の中で、シャオマさんは次のように話している。
- 文法や発音を別々に学ぶのは効果的ではない
- まず、話し相手を見つける
- その中で文法も発音も自然な形で覚える
- とにかく耳で覚えたい
その中で6カ国語を話すティモシー・フェリスさんの言語学習法に触れている。
- 彼は新しい言語を学ぶときの文章リストを持っている
- それらの文章が言えるようになれば、その言語のしくみがわかるようになる(後述)
このあたりは、ティモシー・フェリスさんの著書に掲載されている「3ヶ月であらゆる言語を習得する方法」に詳しい。
話をシャオマさんに戻す。
- 最初に韓国語の先生について個人指導を受ける(4時間)
- 終了後、ホテルに籠もり、個人指導のときに取ったノートをもとに復習(数時間 ← 詳細不明)
- さらに別の先生のSkypeレッスンを受講する(数時間 ← 詳細不明)
睡眠時間を除く24時間なので、おそらく16~18時間ほど勉強を続けたはず。
一夜明けて、再び個人指導の先生と最終レッスン。
この時点でそこそこ話せている!
最後にコリアンタウンに繰り出し、韓国人を見つけては話しかけて会話を交わす。
さすがに24時間では厳しかったようだが、それでもここまで話せるようになるのかと驚かされる。
スキーマに注目する
上記の中でシャオマさんが口にしていた「その言語のしくみ」という言葉を聞いて、以下の本に出てくる「スキーマ」を思い出した。
スキーマとは音楽における「コード進行」に似ていると感じる。
やみくもに音を並べるのではなく、コード進行という一定のルールに沿って組み立てられているからこそ音楽として成立する。
同様に、言語もまた言語それぞれに独自の“コード進行”があり、これに沿っているとその言語っぽく聞こえる。
たとえば、タモリさんの「7カ国語バスガイド」はそれぞれが確かにそれらしく聞こえる。
まずはひたすら「音」を聴く
まずすべきことはその言語の音を聴くこと。
「言語はもともとは音楽だった」という仮説に驚かされたのは以下の本。
はじめて聞く外国語は、もにょもにょ連続した音の流れに聞こえます。どこが切れ目かわかりません。たとえば、外国のテレビ局のアナウンサーが話していることばを聞いても、何を言っているのかまるでわからないでしょう。
しかし、その外国語の勉強を続けて耳が慣れてくると、ことばの流れのなかにある単語の「切れ目」がわかってくるようになります。
そこから著者が立てた仮説が以下。
「ことばの4条件の(3)」である「単語を組み合わせて、文章にする能力」を逆に考え、「文章の流れのなかから、単語を切り出せる能力」と、考えてみたらどうでしょう?
つまり、
「単語が先にあり、単語を組み合わせていくことによって、ことばができた」
のではなく、
「歌のような音の流れがまず先にあり、それを切り分けていくことによって、単語ができた」
と考えるのです。
ここから、言語を学習する手順は、
- ひたすら単語を暗記するのではなく
- 元となった「歌」をくり返し聴く
ほうがいいのではないかと考えるようになった。
ぶつ切りになった単語(単音)をいくら覚えても、それらを組み合わせるルール(コード進行)を知らなければ相手に伝わる「歌」にはならない。
逆に、音が多少おかしくても、全体としてそれらしく「歌」えれば、通じるのではないか。
さらに読み進めていくと次のような記述にぶつかる。
人間は「ことば」をもつより前に、「歌詞のない歌」をうたっていたのではないだろうか?」
ある者が、「今日はみんなでマンモスを狩りにいこう」という意味の歌をうたいました。別の者は、「あっちの草原でシマウマを狩ろう」という歌をうたいました。
お互いに別の歌をうたっているうちに、ふたつの歌の中の重なり合う部分が切り出され、このかたまりに「狩りをしよう」という意味がついたのではないか?
この流れは言語の学習プロセスそのものと言える。
リスニングから入って、似たようなフレーズに気づき、このフレーズの意味を知るために単語に分解していく、という流れに沿っている。
波を溜める
以下の動画では、日本生まれの日本育ちの日本人(やまさん)が9カ国語をそれなりに話せる(一部の言語は聴いて分かる程度)ようになった背景について語られている。
結論から言うと、やまさんは2歳のときから家のいたるところにスピーカーが置かれ、それぞれのスピーカーからいろいろな言語の音声が流れる環境で育ったから、とのこと(意味不明だと思うので動画を見てください)。
その中で印象的だったのが「波を溜める」という表現。
- やまさんは長く聴き続けているうちに、言語によって音の「波」がそれぞれに異なることに気づく
- 意味は分からなくてもそれぞれの音声を聴くだけで言語を識別できるようになる
- 聴き続けることで意味は分からなくてもそれぞれの言語の「波」が身体の中に溜まる
- この状態でその言語を本格的に学習し始めると、溜まっていたものが一気に出ていく(=喋れる)ことに気づく
つまり、まずは言語の「波」を溜める。
このくだりを聴いて、「言語はもともと音楽だった」という仮説が真実味を帯びてくる。
音を覚え、その後で文字を見る、という順番は絶対に守る
そして、この「波を溜める」という考え方は学生時代に熟読した以下の本で紹介されている学習法にも通じる。
ざっくりまとめると以下の通り。
- 教科書を見ずに、テープを何十回も聞く
- 辞書を引かずに、テキストを音読し、その内容を探ろう
- 品詞と機能をチェックする
- 同じ練習問題を何回もやる
- 書き取りをやる
- テキストを朗読して、テープに吹き込んでみる
- 予習は完璧にやる
特に最初の「教科書を見ずに、テープを何十回も聞く」が強烈で、以下の解説にも納得。
- 効率の良い勉強法は、テープの外国語を聞いたら、その言葉を自分でも唱えてみることである。
- 最初のうちは、日本語に存在しない音(たとえば、フランス語、ドイツ語の[r])が全く聞こえなかったり、話し方が早いために、よく聞き取れなかったりで、テープから流れてくる外国語の音について行けないが、聞こえた音を自分で唱えているうちに、聞こえない音も、次第に聞こえてくる。
- 「テープで音を覚え、その後で文字を見る」という順序は、絶対に守られなければならない。その逆に、音を聞く前に、教科書を見ると、間違った発音で、文字を読んでしまう。
- 音を聞きながら、テキストを見ているのも、実に悪い勉強法。これをやると、音を聞いた途端、文字を思い浮かべる、という困った条件反射が出来上がり、外国語の習得、特に、会話学習の妨げとなる。
- 音を聞く時は、目を閉じていた方がよい。
まさに音から入って「波を溜める」ことから始めていることがわかる。
そもそも赤ん坊は、一定期間は両親たちの音声をひたすら聴くことに徹して「波を溜める」を実践したのちに満を持して最初の言葉を発する。