なぜタスクシュートを使うと作業が進むのか?



「なぜタスクシュートを使うと作業が進むのか?」

そもそもその前に、

本当にタスクシュートだと、仕事が進むの?

という疑念が湧くと思います。

たとえば、

「他のアプリではこんなことできないから、選択肢がこれしかなかった!」

では、アプリの素晴らしさの感想であって、説明にはなっていないでしょう。

現にこういう感想をいただくことが多く、これが正解ではあるのですが、納得はされないでしょう。

なぜタスクシュートがそんなに「作業実行率を高める」のか。

それをこれから説明しようと思います。

ごく一般の、つまりタスクシュート以外のタスク管理方式には、大きな欠陥があるというように、私は思います。

たとえばごくふつうに、次のようなタスクリストを作ってしまうのです。

たんなるタスクリストの問題

これはなんの変哲もない、たんなるタスクリストです。しかし慣れた人は、これだけでもう、不吉なものを感じないでしょうか?

この2つ、どっちもしないまま、今日を終えてしまうのでは・・・?

そういう不安です。

たった2つの、それほど無理もないようなタスクなのに、そんな不安がよぎるのは、いったいどうしてなのでしょう?

意志が弱いから?

もしも問題が「意志の強さ」にあり、タスクシュートを使えばやれるようになるということなら、タスクシュートには「意志を強くする機能」があることになります。

が、現実にはそんな機能など、あるはずがありません。

タスクの粒度が大きすぎるから、分解が必要?

ときにその方法はたしかに有効です。しかし、本当にそれで解決するでしょうか?

これをどう分解すると「やりやすく」のなるのか。

たしかにこれはそれなりに有効なので、実行してみて欲しいとは思うのですが、すべてのタスクについていちいちこの種の「分解」を実行する気持ちには、なかなかなれないものです。

それに分解して進めてみたとして、

あたりのタスクにさしかかると、やっぱり「分解してあっても、やりたくない」と思うことは、けっこうあります。そして現にやらないことも、けっこうあります。

ここにタスクシュートの独特なところがあります。

行間がなければ、緊張する

タスクシュートでは、タスクをやらないときに、代わりにやることを、必ず「タスクとして表記する」ことが求められるのです。

タスクとタスクの間には、無数のタスクがあります。

行為と行為の間には、無数の行動があるものなのです。

一般的なタスク管理の大きな欠陥とは、行間が空いているのに、その行間がないことです。

タスクシュートのタスクリストは「長すぎて見づらい」と言われることもありますが、それは必然的な特徴です。わずか1日であっても、それだけたくさんのことを、現実には行っているからです。

この行間の行為を記録するから、「細かすぎて病的」に見えるのです。この細かさゆえに「自分には向かない」と思われてしまうわけです。

しかし、多くの人が好む大ざっぱなリストは、私たちの精神に強い緊張感を投げかけてきます。

この2つはいずれも、いってみれば「重要で厳しいタスク」です。

本来、タスク管理ツールに「タスクの価値を決定する機能」など、付けられないものだと私には思えます。つい先ほどあげたリストをもう一度見てみましょう。

たとえば次のような価値づけを、アタマの中で自然に行ってしまう人は多いのではないでしょうか。

たしかにこのような感じはするかもしれません。

しかし本当にそうでしょうか?
この価値の数値化が絶対に間違いなく正確で厳密だと言えますか? 

もちろんいえるはずがありません。

信頼できないタスクリストの言うとおりにはできない

場合によってはそもそも、トイレに行ったり寝転んだりすることの価値は、編集さんへのメールよりもはるかに高い可能性があります。

編集さんにメールを出しても結果としてなにもならないかもしれません。トイレに行くのを我慢すれば、体を痛めるかもしれません。

私たちは、やる必要のあることは、ぜんぶ必ずやるものです。

しかし、やる必要のあることだからといって、すべてのことのすべてを言語化することなど、私たちにはできないのです。

絶対にやる必要のあることであっても、それが入っていないリストを参照することは、リストにある項目以外のことを、いつでも頭でおぎなって実行しなければならないことになります。「トイレに行く」などがそうです。

そのうちに、「シゴタノ!」と「メール」しか書かれていないリストなど、信用に価しないことに気がついてしまいます。

それを見ても、必ずやるべきことの一部は書かれていないかもしれず、けっきょくたくさんのやることを、頭で補ってしまうのですから、頭の方を信用した方がいいわけです。

しかしタスクリストを使うということは、頭を100%信頼しているわけではないという態度です。

タスクリストも、頭すらも、完全には信用ならないとなったら、私たちは信頼に価しない二人の秘書に、自分のやることを尋ねては、右往左往することになります。

欠陥のあるタスクリストとはこの、信頼に価しない秘書のことです。

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