記憶術としてのタスク管理

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いっときビジネス書の世界で、

「●●力」

というタイトルが大いに流行ったことがあります。

いちいちタイトルをあげることはしませんが、シゴタノ!読者の方であれば3〜5の「●●力」をすぐに思いつけるでしょう。

「力」が流行る前、「術」が流行った時代があります。

この2つ、どちらもビジネス書向きではありますが、違いはあります。コミュニケーションという語につけて並べてみると分かります。

私には「術」の方が無理がない気がしますが、どちらも日本語としては成り立つでしょう。

両者の違いは「力」をつけるか「術」で乗り切るか、という違いです。

コミュニケーション「力」に自信がないとき、コミュニケーション「術」で乗り切るのです。

そういう意味で「ビジネス書」は大きく2つに大別できるのです。

「コミュニケーション力」をつけるか「コミュニケーション術」で乗り切るか。

「経済力」をつけるか「節約術」で乗り切るか。

記憶力か、記憶術か。

タスク管理「術」とは言うが、タスク管理「力」とは言わないのはなぜか?

さて、今日、問題にしたいのは「記憶力」「記憶術」のことです。

タスク管理「術」と言っても、タスク管理「力」などと言わないのは、これは「記憶力」に自信がない人のための「記憶術」に他ならないからです。

たとえばGTDは、やらねばならないことを整理して、順繰りにやっていく間、締め切りや優先度を意識に留め、とつぜんの割り込みにも対応する、などという複雑高度な職場環境の中で、「記憶力」だけではまかないきれない人のための、「記憶術」です。

記憶術であるからには、まずは記憶のサポートをGTDでやるべきなのです。

最初から「水のような心」を目指したり、夢をかなるためにやるべきことをことごとく洗い出すところを目論まない方がいいと、私は思います。

そもそも「夢を叶えるための逆算」もまた、記憶術の一種です。

自分の夢や、それを実現するための手順を、日々の雑事にかまけて「忘れてしまう」(それにしてもなぜ忘れるのでしょう?)のを防ぐための「術」なのです。

このように考えてみれば、手帳もカレンダーも、GTDもそしてタスクシュートも、扱う課題に共通点があることがハッキリします。

課題は「記憶力」であり、忘れっぽさにあります。

ただ重視する記憶の内容や、自分の記憶力への信頼度が違っているに過ぎません。

たとえば、GTDには有名な「週次レビュー」というものがありますが、タスクシュートにはありません。タスクシュートは、できれば毎セクション(2〜3時間おき)、遅くても「毎日レビュー」するので、一週間も記録をためこめないのです。

ここには、「記憶力」への信頼度の違いがあります。

GTDとタスクシュートの違い

GTDでよく「頭を空にする」と言ったり、「記憶力をあてにしない」などと言いますが、それは比喩であり、いささか誇張があります。タスクシュートでもこういう言い回しを使うことがありますが、やはり比喩であり、誇張があるのです。

記憶力が完全に損なわれてしまったら、記憶術で何をどうしようと、どうにもなりません。そもそも「タスクシュートをしている」とか「GTDとはなにか?」という記憶だって、「頭が空」になったら失われるのです。

(中島敦さんが小説の中で、「弓の名人があまりにも弓術を極めすぎ、ついに弓矢を見てもそれがなんだか思い出せない!という締めくくりで読者の笑いを取っています)。

私がこの「シゴタノ!」の原稿を書くことができるのは、シゴタノ!の原稿を書くということを覚えているからです。

タスク管理をしているからといって、シゴタノ!のことを完全に忘れ去ってしまったら、「シゴタノ!を書く」というタスクを目にしても、???となるだけです。

記憶術は、記憶力の代わりになるのではなく、記憶力をサポートするのです。だから、何をどのようにサポートされることが適切であるかを、よく承知していたほうがいいはずです。

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