パッケージ化ときどき「革命」

カテゴリー: 発見の記録

By: Pasu Au YeungCC BY 2.0


いちいち考えたり同じような作業を繰り返したりしなくても済むように、習慣としてパッケージ化することは大切ではあるのですが、一度パッケージになってしまうと、今度はブラックボックス化に悩むことになります。

ブラックボックス化というのは、なぜそれをするのか、なぜその方法なのかがわからないけれども、とにかくその方法でそれをすればOK、というモデルができあがった状態です。

電子レンジに弁当を入れてボタンを押せば、弁当は温められます。電子レンジがどういう仕組みで弁当を加熱しているのかを知らなくてもいっこうに構いません。

でも、毎日ブログを書いていて、だんだんと一連の手順が洗練されていき、手先が次の作業を予測して小気味よく動くくらいに習熟してくると、その心地よさゆえにそこから抜け出すことに不快感を覚えるようになります。

という守りに入ってしまうのです。

“チャレンジ血栓”、“情報梗塞”

これは、ある種の洗脳のように感じます。つまり、ひとたび習慣として定着すると、手綱はロボットにゆだねられます。

ロボットとしてはずっとそれを繰り返すことが任務ですから、主人である人間にその習慣をやめさせないようにしようとします。それが、上記のような守りに入らせてしまう、ロボットが繰り出すある種のマインドコントロールのようなものなのではないか、と思うのです。

一方、同じような構図は仕事を発注する側と受注する側にも見受けられます。

このような状況では、発注側はいつしか受注側の術中にはまっているのです。発注側に冷静な人がいれば、

くらいの指摘はなされるでしょう。

こうしたオブジェクションを適時に発動させる仕組みが組織に組み込まれていれば、組織の新陳代謝が活発に行われ、新しいことにチャレンジする風土がすたれる“チャレンジ血栓”やコミュニケーションが沈滞する“情報梗塞”を患うことは減るでしょう。

ときどき、無理矢理にでも今までやったことがない体験に挑んでみる

習慣の話に戻って、こうした“チャレンジ血栓”や“情報梗塞”といった症状は個人にも蔓延しているのではないかと思っています。

こうした新しい行動を抑えこもうとする力に抗って、無理矢理にでも今までやったことがない体験に挑んでみる。

そうすることによって時にはトランプゲームの大貧民で言うところの「革命」が起こり、パラダイムシフトやカイゼンが一気に進むこともあるでしょう。

でも、意図的に抗うのは大変なので、有事に乗じてどさくさに紛れて「革命」を起こすのがよさそうです。

そこで例えば、仕事の忙しさがピークになっているような時に、

ようにすると、普段は時間に余裕があったので特に気にしていなかったが、やらないでみると、特にやらなくてもいいものであることに気づいたり、少なくとも毎日やる必要はないことがわかったりするでしょう。

一度パッケージ化しても、時折リニューアルしないと飽きられてしまいます、自分に。

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