ここで、僕は考えます。
何をどのようにしたら「すばらしい一日」を過ごしたことになるのか、と。
この「何を」と「どのようにしたら」の両方が明らかにならない限り、「すばらしい一日」を過ごすことはできないでしょう。
「いやいや、一日の終わりに『今日はすばらしい一日だった』と感慨にふけることができれば、それでいいんじゃないですか?」
という反論があるかもしれません。
そこに「再現性」があるかどうか
でも、そうなると「一日の終わり」に辿りつくまでは「すばらしい一日」であるかどうかが不明のままということになります。
何をどのようにすればいいのかわからないままに手探りでその日を過ごし、あるいは誰かの言いなりになり、成り行きに身を任せ、ときには流れに逆らってみたりしつつ、その日の終わりまでいかないと「答え」がわからないのです。
もちろん、「一日の終わり」に至るずっと前の、例えば、ランチタイムあたりで、思いがけずラッキーな出来事が起こり、これをもって「すばらしい一日」と“早期認定”できる日もあるでしょう。
ただ、この場合は自分のコントロールが及ばないところに依拠しているために「棚からぼた餅」感がぬぐえません。
僕がこだわりたいのは、
- 1.毎日例外なく、
- 2.意図的に(=自分のコントロール下で)、
- 3.思い通りの過ごし方ができる(=みずからぼた餅)、
という3つの条件を満たすことです。
これが実現できて初めて「すばらしい一日を過ごした」と言えると思うのです。
言い換えれば、そこに「再現性」があるかどうか、ということです。
結果として「すばらしい一日」になるのではなく、意図的に「すばらしい一日」を過ごすのです。
「すばらしい一日」のつくり方
そのためには、「すばらしい一日」とはどんな行動から成り立っているのか、その構成要素を把握する必要があります。
過去の「すばらしい一日」をふり返り、
- 寝起きがすばらしかったのは11月7日、
- 朝の過ごし方がすばらしかったのは5月10日、
- 朝食がすばらしかったのは7月25日、
- 午前中の過ごし方がすばらしかったのは9月18日、
- ランチがすばらしかったのは2月23日、
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といった具合に、「すばらしい一日」の断片を拾い集めて、“ベスト盤”としての一日を再構成するわけです。
各パーツいいとこ取りの“モンタージュ写真”です。
冗談のように聞こえるかもしれませんが、スポーツ選手はきっとこのような記録とふり返りを本気でやっているはずです。
例えば、フィギュアスケートであれば「最初のジャンプは問題なかったけど、次のジャンプは着地で失敗したので、ここを改善しないといけない」といったふり返りです。
そこから、
「最初のジャンプは今の良さをキープしたままで、
次のジャンプも着地まで気を抜かずにつなげる」
という「次のタスク」が得られます。
このように、記録とふり返りを繰り返す中で、どんどん「次のタスク」を引き出し、そしてこれをこなすことで、全体のパフォーマンス・レベルが上がっていきます。
つまり、スポーツ選手たちは記録とふり返りによって、「何を」と「どのようにしたら」の2つを強く意識しながら、一直線に結果につなげていっているわけです。
ビジネスパーソンも、これに倣えばいいのに、と僕は考えるわけです。
というわけで、
今日も「すばらしい一日」を過ごしましょう。
インスパイアされた本
今回の記事を書く発端となったのは、『いい会社をつくりましょう。』の以下のくだりです。
加齢するにしたがって、何となく充実し、幸せになれるような人生こそ、末広がりの、いいかたちの人生だと思うのです。
プロ野球のドラフト一位で入団したピッチャーがいました。最初は成績が良くて年俸も上がり、豪邸を建てて華やかな結婚式を挙げました。やがて何かの事情で調子をくずして二軍に落ち、収入が激減して、マスコミにも登場しなくなりました。家を手放し、奥さんにも見放され、失意のうちにみずからのいのちを絶ってしまいました。尻すぼみの人生の典型です。
この逆のかたちが、一番幸福を感じられるのではないでしょうか。
「この逆のかたち」とは、ゆっくりと、少しずつ、確実に成長し続ける生き方です。ゆっくりと少しずつである以上、「目を見張るような成長」は実感できないかもしれません。
だからこそ、記録と今とを比較することで自らの成長を確認する必要があります。そして、そこから次に進むべき方向性を見定めていく。
そんな地味で地道な成長を楽しむための手段が記録とふり返りなのだと思います。