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『作家の収支』から、これからの作家について考える

By: Toronto HistoryCC BY 2.0


倉下忠憲森博嗣さんの『作家の収支』を読みました。

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普段なかなか表に出てこない「作家とお金」の話が、すがすがしいまでに開示されています。別段いやみったらしい自慢という感じはなく、淡々とデータを公開しているような、そんな印象を受けました。

章立ては以下の通り。

第1章 原稿料と印税
第2章 その他の雑収入
第3章 作家の支出
第4章 これからの出版

おもしろいのが、第4章です。

この章では、出版業界の未来についておまけ的に書かれているのですが、むしろ内容的にみれば第1章から第3章の方がおまけと言えるかもしれません。現代は電子書籍が当たり前の時代なのですから、第4章だけを抜き出して200円くらいで販売してもいいくらいです。

なにせ森博嗣という作家のデータは、過去のデータでしかなく、出版業界が大きく変わってしまえば、将来的な推測の役にはほとんど役に立ちません。今から作家を目指す人は、もちろん「これからの出版」を見据えて動くのが賢明でしょう。

メジャーからマイナーへ

森先生が指摘するポイントは、大きく三つあります。

  • メジャーからマイナーへ
  • 作家と作品のプロモート
  • 常なる課題

それぞれ見ていきましょう。

メジャーからマイナーへ

「出版不況」という言説がどれだけ正しいのかは別として、ミリオンセラーが出にくくなっている状況はたしかにあります。私たちの消費する情報が、より多様化・細分化してきたことの表れでしょう。その傾向は止まることはなく、おそらく今後いっそう加速していくはずです。私は「ミリオンセラー」と呼ばれるものは、20世紀〜21世紀の過渡期に起きた、一時的な現象として将来は扱われると踏んでいます。

どちらにせよ、過去の栄光にしがみついていては、いずれ朽ち果てていくだけです。目の前にある現実に対応しなければいけません。

本を読むということが、どんどんマイナーなポジションに追いやられていますが__むしろ、あるべき状態に戻りつつあるわけですが__、マイナーであることはデメリットばかりではありません。むしろ、目の付けどころによってはメリットがたくさんあります。

メジャーであることの魅力の一つは、規模の経済の働きによって、高い利益率を確保できる点があります。売上げそのものも大きくなるので、規模が拡大すればそれだけ、儲けやすい構造があるのです。しかし、現代の私たちはWebというすさまじいスケールの大きいものを手にしてしまいました。詳細は割愛しますが、小規模なものでも利益を確保できる状況が生まれつつあるのです。

これは循環の構造を持っています。私たちの嗜好が細分化すればするほどマイナーな存在が(小さく)注目されるようになり、それが注目されることでマイナーなコンテンツが増殖し、それがさらに私たちの嗜好の細分化を加速させる。そうして少しずつ少しずつメジャーなものの力が削がれていきます。これは、モイセス・ナイムの『権力の終焉』でも指摘されていて、マイナー(マイクロ)なものが持つ力は、存外に大きいのです。

そうなると、生まれるかどうかわからない「ミリオンセラー」に期待するのではなく、マイナーに向けた小さなコンテンツを大量に生み出すことで、全体的に見れば大きな利益を確保していくことになります。当然、そこでは電子書籍が大いに活躍してくれるでしょうし、それに伴い組織のコスト構造も変わらざるを得ないでしょう。

作品と作家のプロモート

ということを踏まえた上で考えたいのは、プロモートについてです。

プロモートについては二つの対象があります。一つが「作品」、もう一つが「作家」です。

まず、マイナー中心の世界では、「作品」のプロモートも大きく変わっていくでしょう。いわゆるロングテールなものが目指されるでしょうし、それは電子書籍的な存在とも相性が良いものです。実際、Kindleストアなどでは、「値段の付け間違いでは?」と思うような過激なセールで、過去の作品が注目されています。過去の作品は、すでに初期投資分の回収は終わっているでしょうから、セールで値を下げても売り手が損することはありません。むしろ作品が注目を集めることで、新しい売上げにつながる可能性が生まれてきます。

こうした過去作品の再注目は、これまでの書店では作品が他メディアへ展開したときか、何かしらのフェアでしか行われてきませんでした。まあ、古い作品は在庫を確保するのも難しいのかもしれません。が、電子書籍なら自由に展開が行えます。セールもその手段の一つですが、そればかりではないでしょう。きっといろいろなアイデアが、これからの「作品」のプロモーションに流れ込んでくると思います。

もう一つ、忘れてはいけないのが「作家」自身のプロモートです。現代では、ブランディングという言い方をした方がいいかもしれません。

もしやりたいことが「作家になる」ことだけで、その通り道がたった一つしかないならややこしいことは考えなくても済みます。しかし、現代では作家になるためのルートは一つではありませんし、また作家になった後のことも考える必要があります。

良い作品を作ることは大切ですが、良い作品を作ることだけを考えていればそれで「作家」というビジネスが成立するわけではありません。それはものづくりの企業が良い製品を作りさえすれば、それでビジネスが成立するわけではないのと同じことです。

出版社がマイナーなものをたくさん取り込んでいく戦略にでるなら、一人ひとりの作家をフォローすることはできません(というか、もうそうなっているかもしれません)。さらに、「本」を出すためのルートも出版社経由だけでなく、セルフパブリッシングという手法もあります。簡単に言ってしまえば、出版社に任せっきりというわけにはいかないのです。

じゃあ、どうすればよいのかに画一的な答えはありませんが、少なくともいろいろ考えていかないといけない、ということはたしかでしょう。

常なる課題

森先生は次のように書かれています。

デビュー以来、すべての仕事を通して、僕が最も意識していることは「新しさ」である。新しさを生み出すこと、新しさを見せること、それが創作者の使命である。「使命」というと格好が良いが、もう少しわかりやすく表現すれば、「意地」だ。それが、それだけが、プライドを支えるもの、アイデンティティなのである。

作品があまた生み出され、しかもその多くが無料で消費される時代において、「作品」を手に取り、買ってもらい、あまつさえ読んでもらおうとすれば、何かしらの旗が必要です。その人の作品でなければ味わえない何かが必要になります。村上春樹さんならそれを「オリジナリティー」と呼ぶかもしれません。別の人ならそれを「作品が持つ声」と表現するでしょう。

名前はなんでも構いません。そこに何かしら旗として機能するものがあればいいのです。

もしそれが500人なり1000人にきちんと訴えかける旗ならば__それはこれまでの出版業界から見れば大いにマイナーでしょう__、ひとまず作家というルートが見えてきます。

ただし、その旗は意図的に作品に埋め込むようなものではありません。それぞれの作家が抱える「意地」によって(あるいはこだわりによって)、結果的に、余韻的に生じるものです。

森先生は常なる新しさへのチャレンジによって、結果的にその旗を立てられました。たぶん、他の作家は他の旗を掲げるでしょう。そこに正解はありません。読者がいるか、いないか。ただ、それだけです。

さいごに

森先生の「本を多作で生み出し続けていく」という戦略は、不思議と私が自分が電子書籍でやっていることと重なりました。というか、メディアの性質を考えれば必然的に生まれる戦略なのでしょう。

私はとても19年間で15億円を稼ぐような作家にはなれそうもありませんが、それでもなんとかこの道(物を書くこと)で生きていけたらいいなとは考えています。

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▼参考文献:

「権力」の変化(というか衰退)について書かれた本ですが、メディア的に読んでも面白いです。

» 権力の終焉[Kindle版]


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▼編集後記:
倉下忠憲



がりがり原稿を書いています。もう、がりがりという音がパソコンから聞こえてくるのではないか、というくらいがりがり原稿を書いています。嗚呼、脱稿はいずこに……。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。

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