「思った通りには進まない」のならいっそ「思う」のをやめてみれば



佐々木正悟 「計画通りに進められない」

とは、ある界隈でひんぱんに目にする言葉です。

だからこそ、

  • なんとかうまく進められる計画の立て方を知りたい
  • 予定どおりにできなくても罪悪感を持たない

などのアドバイスがなされるわけです。

それもそうですが、その少し前に、

「思った通りに進めよう」

という「思い」さえなければ、「なんとかうまく進められるより高度な方法への努力」や「罪悪感」と無縁でいられるのです。

「思った通り」

ということは、「思う」のが先であり、「事実」はそのあとにくることになります。

つまり、

  1. 無意識にでも未来を予測する
  2. こうなったらいいという願望を抱く
  3. 願望を実現するためのタスクを仮定する
  4. やるべきタイミングを迎える

といったような流れがあるということです。

不確かな大前提の上にのっかっている

このうちまず、「無意識にでも未来を予測する」段階に無理があります。

明日がどういった日であるかをまず定めておかないと、明日に何ができるかわかりません。

サーフィンに出かけるなら、台風が来てはダメですし、津波が来てもダメですし、外出自粛要請されているのも好ましくはありません。

編集さんにメールを出すにしても、インターネットがつながっていることが前提です。大規模停電があってもダメになります。身内が急死(先月ありました)しても難しい仕事になるでしょう。

「こうなったらいいという願望」と「タスク」は、この不確かな大前提の上にのっかっています

先行しすぎている「思い」を後行させる

そのうえ私たちは、贅沢な難題を自分にふっかけることが多くあります。明日の体調がいいこと。明日の心理状態がいいこと。いってみればあしたの「調子がいい」こと

そうであるかもしれませんが、そうでないかもしれません。これだけの「絶好調条件」を「デフォルト」にしようというのは、どう考えても無理があります。

おそらく条件が整わない日が、一年間の七割以上になるでしょう。

だからあきらめるべきだ、という絶望的な結論にはなりません。

問題は、

「思った通りには進まない」

というたいして絶望的でもない課題にすぎません。

そもそも誰も「思った通り」になど進められてはいません。にもかかわらず「私は思ったとおりに進められている!」と強弁するいくらかの人がいるだけで、それをいくらかの人が信じてしまっているだけのことです。

「思い」が先行しすぎているのです。これを後行させればいいのです。

  1. やるべきタイミングを迎える
  2. 事実に合わせてできることを行う
  3. 「できればこうしたく」なる
  4. それを実現するために集中する

こうしてみればわかるとおり現実に先行した「思い」は見事に消えました。

それが難しい、という人がたくさんいらっしゃるのですが、それこそまさに誤解です。

これは、やってみるととても簡単なことなのです。脳科学的にいえば、「前頭前野」でムリをしてやっていた未来予測です。それをやめることが難しいはずがないのです。

脳がいちばん難しがることをやめればいいのですから。

慣れない人は「未来予測をやめるのは、おそろしくてできない」とおっしゃいます。

でもそれも誤解です。

未来の予測をやめるなど、おそろしくてできないというのは、未来の予測に自信をお持ちだからでしょう。

当たる未来予測をやめるのはたしかにおそろしい。しかし、ことごとく外れる未来予測なら、やめても差し支えないはずです。むしろやめておいた方が安全というものです。

この記事の冒頭のタイトルを思い出してください。

「思った通りには進まない」

です。

この記事をお読みいただいたのは、おそらく自分の未来予測は「当たらない」ということだったはずです。当たるのなら「思った通りに進む」でなければおかしいのです。

当たらない未来予測をやめても、危険はまったくありません。

むしろ私のことをいえば、未来の予測をやめて、だんだんそれができなくなってきた(外れる未来予測をする能力自体を失いつつある)あたりから、幸福度が増すばかりのように思えます。

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