「知的生産の技術」がなぜ必要なのか



倉下忠憲知的生産の技術は、本や論文を書くために有用ですが、もちろんそれだけが意義ではありません。梅棹忠夫さんが定義した以下の記述に立ち戻ってみましょう。

「知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ」

ここには「本」という言葉が一切出てきません。「ひとにわかるかたち」で提出できるものであれば、なんでもこの行為に含まれます。

だからこそ、知的生産の技術は現代においても、──というよりも現代だからこそ有用なのです。

情報化社会に参加する

現代は情報社会です。物的価値よりも情報的価値が高まっている、いわゆるモノからコトへのシフトといったこともそうなのですが、この社会に生きる市民の多くが日常的に情報を受信し、検索し、自分からも発信している、という意味においても情報社会です。

さまざまな流通が、情報を介して行われている以上、自分もそこに参加するためには、情報を生成するしかありません。言い換えれば、「ひとにわかるかたち」で提出する必要があるのです。これが、「人間の知的活動を、教養としてではなく、積極的な社会参加のしかたとしてとらえよう」と梅棹が提言したことの意味でもあるでしょう。

自分なりの価値を生むために、そしてそのことによって社会に参加するために、知的生産の技術は有用です。本や論文を書かなくても、何かしらの(広い意味における)アウトプット作りに役立ってくれるのです。

含まれるさまざまな技術

では、どのような技術がそこには含まれるのでしょうか。たとえば、以下のような技術が考えられます。

何かを調べる技術

求める情報を探すための技術です。ググり方一つとっても、キーワードの選び方次第でかなり検索結果が変わりますが、情報を求める方法はググるだけに留まりません。図書館の利用、インタビュー、フィールドワーク、エトセトラ・エトセトラ。手段が増えるほど、リーチできる情報の種類も豊富になっていきます。

情報の真偽を検査する技術

手に入った情報の信頼度を測る技術です。どのような情報であれば信頼してもいいのか、どのような情報であれば追加の情報を求めるのか。一口に情報といってもその「確からしさ」はかなり変わってきますし、ネット時代ではむしろ「不確か」な情報の割合が増えています。情報とうまく付き合っていくためには必要な技術でしょう。

情報から自分の考えを組み立てていく技術

いわゆる思考のための技術です。情報を集めただけで終わっているのであれば、botと代わりありません(疲れないだけ、彼らの方が優秀でしょう)。そこから何かを考えるからこそ、集めた情報に意義が宿ります。単に「考える」だけならば、たいていの人ができるでしょうが、より精緻に考えていくためには技術が欠かせません。単に思考を発展させるだけでなく、批判的に考えたり、絞り込んでいく行為もまたここに含まれます。

相手に訴えかける技術

何かしら独特な、価値の含まれた考えを生み出せたとしても、それが他の誰にも伝わらなければ、「社会参加」の度合いは小さいものになります。「ひとにわかるかたちで提出する」ことが、知的生産の最後のステップなのです。どのように表現すればいいのか、どのように話を組み立てればいいのか。そういう技術もまた、社会参加には必要となります。

もちろん、知的生産の技術には、上記以外のたくさんの技術が含まれています。そのどれもが、現代の情報社会で生きる上で有効に働いてくれることでしょう。

とは言え、そのすべてが原典とも言える『知的生産の技術』に網羅されているわけではありません。それは、これからの私たちの仕事なのでしょう。

さいごに

情報を扱え、思考を組み立てることができ、それを他者に向けて発信できる。本や論文以外にも広く有用なこの技術は、自分なりの場所をこの社会の中で築いていく上でたいへん役立ちます。ほとんど必須のものと言えるかもしれません。

SEOなどで表面的にアクセスを集めたとしても、その中身が空っぽであれば、あなたが社会に参加したことにはならないことを思えば、中身のある何かを紡いでいくための技術を学んでおきたいところです。

▼参考文献:

いまだに色あせない一冊です。



▼今週の一冊:

心理学・行動経済学・哲学といった分野から、「よりよい人生をおくるための思考法」が紹介されています。



▼編集後記:
倉下忠憲



『僕らの生存戦略』が少しずつ走り出したので、他の企画は若干ペースダウンしております。まあ、すべてを完璧に行うのは無理なので、できることから進めていくとしましょう。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中

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