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「良い習慣」を3ヶ月続ける方法

英語に限らず、およそ「技術習得の第一歩」を踏み出すために、とりあえず「3ヶ月続けなさい」とアドバイスしている本をよく見かけます。それらの著者の見解に従う限り、「3ヶ月間」というのは、少なくとも一定の成果を出すのに充分な期間と言えるのでしょう。

ただ、どうすれば3ヶ月続けることができるのか?
これは問題として残ります。「3ヶ月くらい、とにかく続けろ!」という意見もあるかとは思いますが、世に「三日坊主」という言葉があるくらいですから、「3ヶ月間」は容易い継続期間とは思えません。

私はそういう疑問を抱いたので、とりあえずいくつかの「継続系」の本をあさって、その考え方を調べてみました。

ご多分にもれず、「類書」の主張には共通点が多く見られます。同時に、著者ごとの個性も見受けられます。いずれにしても最近の著者は親切丁寧で、様々な「困難」を想定し、挫折をシミュレートしてくれています。

たとえば小川慶一さんの『英語嫌いの東大卒が教える私の英語学習法 (アスカカルチャー)』は、まるでライフハック書と見まごうばかりに、時間の使い方、学習計画の立て方、勉強する気にならない時のことなどを、こまごまと説いてくれています。その主張は時に、あまり関係ないように思える本のことを連想させます。『夢をかなえるゾウ』などです。

かたや英語学習の本。かたや夢をかなえるための自己啓発書。同じようなジャンルに属するとはいえ、本を手に取った時点では、内容はかなり違っているだろうとイメージします。しかしどちらの著者も、とても似たような点を気にかけていて、その点について色々な攻略法を提案してくれているのです。

その点というのは、「自分への期待感からくる興奮だけでは、努力は継続できない」ということです。

期待感からくる興奮だけでは、継続できない

小川慶一さんはこのことを次のように指摘します。

 勉強をはじめるときは意欲的な気分になっているので、「あれもやってやろう、これもやってやろう」と大風呂敷を広げてしまうのですが、毎日それほどモチベーションが高いとは限りませんし、忙しくて勉強どころではない日もあります。結局、しばらく無理して続けてみたところで、何かのはずみで挫折してしまいます。

英語嫌いの東大卒が教える私の英語学習法 (アスカカルチャー)

夢をかなえるゾウ』には次のようなやりとりがあります。

「一ヶ月で本を五冊読む」そう決めてこれから変わっていく僕の人生を想像するのは、確かに楽しかったし興奮した。でもそれが逃げだったなんて。
 「それはある意味、自分に『期待』してるんや」
 「期待、ですか」
 「そうや。たとえば自分は『今月から本を毎月五冊読む』と決めても実際はでけへんのに、未来の自分に期待してしまいよる。読める思てしまいよる」
 確かに、「○○をやる!」と決めて興奮している時は、それを実際に行動に移すときの、つらい作業を忘れているのかもしれない。
 「本気で変わろ思たら、意識を変えようとしたらあかん。意識やのうて『具体的な何か』を変えなあかん。具体的な、何かをな」
 ガネーシャは繰り返すようにゆっくりとした口調で話した。
 「『テレビを見ないようにする』この場合の具体的な何かって分かるか?」
 答えられずにじっとうつむく僕の横を通り過ぎ、ガネーシャはテレビの近くで立ち止まった。
 「それは、こうすることや」
 ガネーシャはテレビのコンセントを抜いた。

夢をかなえるゾウ

ここにはすでに、「解決策」まで示されていますが、この解決策自体の中に、何か「新しくて良い」習慣を身につけたいと思っても、その「想い」自体は新しい習慣を継続するための力には、なり得ないことが示唆されています。

「続ける」技術』で有名な石田淳さんは、身につけたい習慣をターゲット行動(英語の勉強など)、それの障害となる行動をライバル行動(ついテレビを見てしまうことなど)と名付け、ライバル行動をとにかく減らし、ターゲット行動のハードルを下げられるだけ下げることが大事だといいます。

小川慶一さんは、英語の勉強に限ってこのことを、次の3ヶ条にまとめています。

・英語以外のものを、英語の勉強より面倒なものにする
・英語の勉強をそれほど面倒でないことにする
・英語の勉強を、はじめたら続けやすいものにする

英語嫌いの東大卒が教える私の英語学習法 (アスカカルチャー)

「はじめの頃の情熱」はどこへ行ってしまうのか?

類書の多くは、同じことを言っています。「はじめの情熱」や決意だけで、素晴らしい変化を自分のものとするのは、ほとんど不可能だということです。だからこそ、テレビのコンセントを抜くだとか、iPhoneに英語教材を入れておくといった、様々な「工夫」を必要とするわけです。

 たとえ自制心があり、何事もうまくいっている人でも、革新的な方法で失敗した経験が何度もあるはずだ。
 無理なダイエットで身体をこわしたとか、失恋の痛みを忘れようとして散財しても(たとえば衝動的にパリに出かけたり)、気分は一向に晴れなかったとか。

脳が教える! 1つの習慣

以上から明らかになるのは、初志貫徹しようという情熱を、そのまま物事に取り組むためのエネルギーとしてはダメ、ということです。その方法だと、3日間絶食するとか、1日だけ立派なブログを付ける、ということに終わる危険性がとても大きいわけです。

とは言え、初志貫徹したいという、いわゆる「最初の情熱」は強烈なエネルギーです。これはいったい、何に活かすべきなのでしょう? これでダイレクトに物事に取り組まないとしたら、この膨大なエネルギーは、なんのためのものなのでしょう? 壮大な夢を見て、自分を挫折に導く以外のことには、使えないのでしょうか?

実際のところ、このエネルギーは、脳の「実行機能」を支えるためのものなのです。ということは、今回の話に即して言うと、初志貫徹の妨げとなりそうな、あらゆる例外に備える計画を立てるために使うべきエネルギーです。

たいていのパッと思いつく情熱的な計画というものは、実におおざっぱなものです。たとえば「毎月5冊の本を読む」というような。なぜ5冊なのでしょう? 薄くても厚くても5冊なのでしょうか? 毎月書籍代の予算はいくらくらいなのでしょう? 休日に読書の時間はあるのでしょうか? 仕事で読まなければならない資料のような本は、カウントするのでしょうか?

現実というのはご存じの通り複雑なもので、私たちが日々遭遇する経験は、見た目ほど似たり寄ったりではありません。そのため、毎日新しいことを始めようとか、悪癖を改めようと、自分でルールを作ると、想定できない変動的要因がアタマを混乱させます。だから、次のようなことが起きるのです。

手元のアイスクリームは、あるダイエットの規則には反しても、別のダイエット方式には違反しないだろう。そしてそれがあまりに脂肪とカロリーまみれであらゆるダイエット方式に違反するものだったとしても、ジェイムズの飲んだくれと同じく、今回だけは例外にできるような条件が何かしらあるはずだ。感謝祭だとか、誕生日だとか、相手が苦労して手に入れてくれたものだとか、今日は自分にご褒美をあげたいとか、自分をなぐさめたいとか。

誘惑される意志 人はなぜ自滅的行動をするのか

初心を意識した初日の、膨大なエネルギーは、このようにして想像される、ありとあらゆるハードルへの対処方法を編み出すためにこそ、使われるべきです。そうすることで、翌日以後、すなわちモチベーションも下がって、うっとうしい気分の中で新しい行動を始めなければならなくなったときに、障害への対処方法を考えずに済むのです。それはあらかじめ考えられてあり、対処方法はポケットのメモに記されているというのが理想です。