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先送りも三日坊主も科学的に解消する

By: Joi ItoCC BY 2.0


1.わたしたちには、不合理な傾向がたくさんある。

2.わたしたちは、こうした不合理性が自分におよぼす影響を、自覚していないことが多い。

つまり、自分が何に駆られて行動しているのか、よくわかっていない。

『不合理だからすべてがうまくいく』(p.378)

佐々木正悟 「先送り」も「三日坊主」も、どちらも「意志決定」と深く関わる問題です。

私は以前まで両者を一種の悪癖や習慣の問題ととらえていましたが、いまでは、「意志決定」の問題としてとらえた方が、解決しやすいと考え直しています。

「先送り」と「三日坊主」は、象徴的な言葉です。

より具体的には、そこら辺にものを置いて部屋を乱雑にしてしまうことや、食事を作るのが面倒くさいからといって、ジャンクフードを買ってきてお金と健康を失うことがあげられます。

他にもたくさんありますが、要するにそういうことです。

私たちは、「何々すべきなのに」とか「何々すべきじゃないのに」とか「せめて●●した方がいいかな」というときに、先送りしたり、三日坊主に終わったりするのですが、そういったことは、自然の成り行きとして起こることではありません。

川が流れるように先送りが起こったりはしないのです。

先送りや挫折には、気づかないかもしれないほど小さいとしても何らかの「決定」がからんでいるのです。

つまり、先送りとは「今はやらないぞ。後でやることにしたぞ」という意志決定の結果なのです。

この意志決定が続くと、習慣を挫折させる三日坊主に終わるわけです。

主観的には「残念な決定」にいたる心理

一般的に、先送りに至るこうした「決定」は、残念な印象をもたらします。

とくに、主体的で合理的な行動を行って、人生をたえず改善させたいと願う人にはそういう印象をもたらすものなのですが、「残念な決定」を経済学では「不合理」と呼んでいるわけです。

やると決めたことをやることで、自分や他人に利益をもたらすことがわかっていながら、結局それをやらないで済ませるなどというのは、「合理性」という視点からすれば、「不合理」といわざるを得ないのでしょう。

ではなぜ、私たちはそんな「不合理な」行動を取ってしまうのでしょう。

著者のダン・アリエリーは3つの要因を挙げています。

  1. 損失回避
  2. 現状維持バイアス
  3. 決定の不可逆性


損失回避

「損失回避」というのは、経済学の本などを読むとしょっちゅう登場するもので、1万円を手に入れる喜びよりも、1万円を失う苦痛の方が、感情的には大きいのです。

これが不合理なのはいうまでもなく、「価値判断」を狂わせるでしょう。

ではこれがお金ではなく、行動を起こすことに置き換えてみましょう。

その場合に失うのは、心身のエネルギー、および時間です。

デスクの整理にせよデータベースの作成にせよメールの返信にせよ、作業することで得られるものとは、なんでしょう? おそらく将来のエネルギーや時間の節約でしょうが、これらの全体像がまったくはっきりしないのです。

当座、行動を起こすことはほとんど常に「損失」であるため、即座に報酬が得られるような行動でないと(たとえばジュースを飲めば甘さとのどへの潤いという報酬が直ちに得られますが)、先送りにしたくなるわけです。

即座に報酬が得られるような仕事というのはめったにないため、「損失回避」の感情から先送りに至るのは、非常にあり得ることなのです。

現状維持バイアス

その上「現状維持バイアス」があります。

これはただ単に、変化よりも現状維持を好むという心理ですが、大がかりなことをするときほど、現状維持バイアスの抵抗に遭います。

「変化はつらく、痛みを伴う」ものです。

すべての変化がそうだというわけではありませんが、何もしていない気分に比べれば、何かをはじめる苦痛はあるでしょう。

決定の不可逆性

決定の不可逆性も、「先送り」と大いに関係があります。

すでにリンダ・サパディン博士などが指摘していることですが、「行動を起こす」ということは、不可逆性にかけることになるのです。

寒々しい自室へこもって英語の勉強をはじめる程度の、なにが「不可逆性」だ、大げさな、とこの文章を読んでいれば思うかもしれません。

しかし、夕食後に、ぱっとあどけなく笑いかける1歳児を前にぬくまったリビングでくつろいでいるとき、次の瞬間から寒々しい自室へ戻って英語の勉強なんかする気になるものでしょうか? これは「意志決定」です。

妻は「時間があったらでいいけど、みめい(娘の名前)にご飯食べさせてくれる?」などと言っているのです。

「時間がない」と言えば、多少でも妻の不興を買うことがわかっていて、しかも、娘の笑顔を強引に振り切らなければならない。

娘が泣き出してしまえば、一切は「不可逆」なものとして感じられます。

至極小さなことかもしれませんが、娘に食事をあげ、英語の勉強は「明日にする」という、「不合理な」決定をするだけの素地は、まったく十二分にそろっているわけです。

「意志の力」に頼ってうまくいくはずがない状況でのマインドハック

しかしこれが、現実です。

ダン・アリエリーが指摘するとおり、このような「不合理な」判断は、決して不合理なものではないはずです。

問題は簡単ではありません。

上記のような状況は、この日一日だけのものではなく、これから何日も、何百日も続いていくのです。

つまり先送りは何百日も続き、それは三日坊主以外の何者でもないわけです。

だからこそ、たとえば「損失回避」の解決策として、子供だましのようでも、即座に「報酬」が得られる「ゲーム性のある学習ツール」に人気が出るわけですし、「現状維持バイアス」への対策として、「小分けにする」というライフハックが提案されるわけです。

やることが小さく分かれていれば、「現状」+αで作業に入ることができるからです。

「不可逆性」に対する対処法もあります。

擬似的にでも可逆にすればいいのです。

上記の例であれば、リビングに英語の勉強を持ち込んでしまうという方法が考えられるでしょう。

いずれも、アクションを劇的に切り替えないような工夫を施すということです。

そういう工夫を万端施しておいても、やはり問題が劇的に改善されるとは限りません。

ダン・アリエリーも言うとおり、「バイアスの自覚があるからと言って、バイアスを完全に避けられるわけではない」のです。

しかし、『仕事は楽しいかね』のマックス老人は言いました。

試すことは簡単だが、変えることは難しい(p149)

人の、現状にしがみついていたいという気持ちは、それほど強いものなのです。先送りを避けたければ、現状を「変えずにやる」ことです。