※当サイトはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています。

「ライフログ」が変える心

佐々木正悟 この本には、興奮させられました。著者は、「人生のすべてをデジタルに記録するライフログ」を実践しています。本書はその経緯、方法、そして感想をまとめた本なのです。


著者は何度か、「すでにライフログは実現可能」であることを強調しています。未来はすでにやってきている、という興奮を読者にも伝えたかったのでしょう。ビジネスにも役立つことは間違いないのですが、一見役に立つかどうかがわかりにくい部分も、たくさんあります。

しかしそれら「役に立つかどうかが不明な部分」も含めて、ライフログには大変魅力的な何かがあるのです。本書はそれをどうにか伝えようとしています。そのため、著者の記録癖と相まって少々冗長にみえるきらいもありますが、こうした話が好きな人であれば、読んでいるうちに気にならなくなるでしょう。

私自身もまた、こうした話に非常に惹かれます。技術の新しい可能性と同時に、心理学的な意味からも惹かれます。このエントリでは、心理学的な方面の話に絞りましょう。

 

「記憶」が変わる

誰でもすぐに考えつくのが、記憶という概念の変化です。人生のすべて、イベントのすべてがデジタル保存されるのですから、「記憶」という概念は決定的に変化するはずです。

たとえばこれまで「長期記憶」というものは、保存期間は長いがあいまいになり、場合によっては「書き変えられる」ことが指摘されてきました。

しかし、デジタルにすべてが保存されていれば、人の頭脳の記憶内容も、呼び覚まされるたびに「正しく」修正されることになります。(その記録内容の「正しさ」についての哲学談義には立ち入らないことにします)。

重要なのは、記憶内容が正確に保存されるというだけではなく、「正確に保存される」と私たちがみんな、認識するようになることです。そうなると、「長期のエピソード記憶など、あいまいになる一方だ」という常識そのものが変わるのです。

たとえばこうです。「子供の頃遊んだデパートで、兄弟げんかをして、けがをした覚えがある」という「思い出をふと思い出す」かわりに、もしかすればその光景そのものを、30年たってビデオで見る、ということになるかもしれません。それも、3D映像でその場にいるかのような臨場感をもって。

このことは、いわゆる「クオリア」を思いのままに再現できるようになる、のに近いことを意味しています。そして誰もがそれを当然だと思うようになることも意味しています。


 

カウンセリングが変わる

そこまで考えてみると、次に私の頭にすぐ浮かんだのが、「カウンセリングが変化する」ということです。昔の思い出について語るのであれ、トラウマについて述懐するのであれ、過去の完全保存版をセラピストとクライアントが、やろうと思えば共有できるからです。

流派にもよりますが、セラピストはクライアントに、「過去のこと」について話すようよく促します。それが「正しい」述懐かどうかはあまり問題とされないことも多いのですが、「正しい過去」がどういうものか、すぐに確認を取れるとなれば、確認を取るのが非常に難しかった時に比べて、双方の態度が変化するでしょう。

セラピストはもしかすればクライアントの「ライフログ」を見るだけで、「疾患の原因」を了解できるかもしれません。そうなったからといって仕事が容易になるわけではないはずですが、1つ糸口を増やすことはできそうです。

当然、クライアントはセラピストに、自分のライフログを見せたくない、と考えるようにもなるでしょう。あるいは過度に見せつけようとする人もあるかもしれません。それらの態度がまた、何らかの「兆候」とみなされる可能性もあります。


 

意思決定が変わる

過去に何が起こり、どんな情報を元に、どういう決定を下したかが一切記録され、その結果もまたすべて記録されるようになれば、小さなことから大きなことまで、意志決定の仕方が大きく変化します。

たとえば「健康と食べ物」について。著者はこんなことを書いています。

レストランでメイン料理に赤身肉を注文した日の八〇%が、翌日になると仕事の効率が三〇%減となり、スポーツジムに行く気が半減するということを、きわめて明確なグラフで見ることができるとしたらどうだろう。

私たちが意志決定をかなり適当な感覚に基づいてやるのは、記憶内容があいまいだからです。記憶内容が明快になると、意志決定に影響を及ぼさざるを得ません。(カウンセリングもまた、意志決定と不可分ですので、この意味でも変化を余儀なくされるでしょう)。

今はまだ、そんなグラフを見るのは面倒だと思えるかもしれませんが、技術のちょっとした進歩で、こうしたものはものすごく簡単になっていきます。そこまで来るのはまもなくだと、本書で著者は言っているわけです。



 

▼編集後記:
佐々木正悟



セミナーのご質問や感想をいただいてよく見かけるのが、Evernote の「タグ」の使い方が分からない、というものです。本当はタグの使い方が分からないと言うより、タグの構造の作り方が分からない、ということだと思います。

機能的なルールが理解できているなら、あとは自分でつけていくのが1番の近道です。

・1意のタグしか作れない
・階層タグは作れるが、上位が下位のタグのノートを、自動的に取り込んでくれるわけではない
・あるタグのついているノートを、他のタグへドロップしても、元のタグは消えない

といったところが機能的なルールです。「うまくつけないと、後で困ったことになる」などとは、考えないことです。タグの完璧な青写真を最初にイメージしても、後から集めるノートの傾向が変わりますから、それに伴ってタグも変えざるを得なくなります。

たとえば私は最初、テニスのノートを「ノートブック」に集めていましたが、内容を分類したくなって、タグに変更せざるを得ませんでした。さらに、タグの内容も「ストローク中心」から「ボレー中心」にプレースタイルが移ってみると、大きく変わっていきました。そういうことが起こらない方が残念なことですから、ノートを集め、タグを適当につけ、適宜付け替えるというのが現実的だと思います。