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プロの伝え方に触れて、改めて伝える力のすごさを実感した話



大橋悦夫先週末に「パトリオット・デイ(2017)」という映画を観てきました。たまたまラジオを聴いていたときに耳にした、いわゆるラジオCMでこの映画のことを知り、何となく気になって実際にはどんな映画なのかをネットで調べてみたら「あぁ、これは観よう」ということで、その日の晩の上映回のチケットをネットで申し込みました。

我ながら、いくつか驚いたことがあります。

  • 映画の宣伝なのに映像なしの音声のみでも十分に効果がある!
  • おなじみの役者が出ていると観に行くハードルが下がる!
  • チケットを買ってしまうともう後に退けない!


映画の宣伝なのに映像なしの音声のみでも十分に効果がある!

まず、映画の宣伝というのは映像なしの音声のみでも十分に興味を引くことができる、ということ。むしろ映像がないことで耳から入ってくる情報への感度が高まり、吸収率が上がっているように感じます。

たいていのラジオCMは繰り返し耳にしてもうるさく感じさせないようにするための工夫というか魔法のスパイスというか、うまく言葉にできませんが、とにかくプロフェッショナルな何かが“配合”されているようです。

うっかり油断して聴いているとすっかり持っていかれる

たとえば、もう何度も耳にしているのにそれが始まると、ついつい聴き入ってしまうラジオCMがあります。

「くるまたかし」という中古車買取の一括査定サイトのCMです。

CMはトータルで39秒あり、このうち最初の29秒は「状況設定」に使われます。時間枠の大半(75%)を使ってとにかく物語に引き込むことに終始しています。

そして、残りのわずか10秒の間に商品名である「くるまたかし」というキーワードが4回、自然な形で連呼してその目的を果たしています。

選挙カーが候補者の名前を機械的に繰り返すのとは違い、きちんと物語を設定したうえで必然性のある連呼になっているところに唸らされます。

また、CMは父親と息子の会話で進行するのですが、この息子役の話し方が実に巧い!

声の抑揚や間のとり方、滑舌の良さなど、子どもっぽさとプロっぽさが絶妙なバランスで同居しており、子どもだと思ってうっかり油断して聴いているとすっかり持っていかれるという立て付けです。

↓以下がそのCMです。


制約をテコにする

「パトリオット・デイ」のCMもまた、音声のみという弱みをむしろ強みに変えて強いメッセージを組み上げていました。

残念ながら、僕が耳にした当のラジオCMはその後は聴けておらず、ネット上にも見つけられませんでしたが、とにかく最初のワンフレーズが実にセオリー通りでした。

確か、以下のようなフレーズだったと記憶しています。

かつてない凶悪犯罪は、なぜ発生からわずか4日目にして解決をみたのか?

これに続いて、映画の概要となる舞台設定などが語られるのですが、もう最初のこの「なぜ?」によって一気に関心を引きつけることに成功しています。

このフレーズより後の内容はほとんど思い出せないのに、僕はその日のうちに映画を観に行くという行動を起こしたくらいですから(ただし、ラジオCMはあくまでもきっかけで、その後にネットで調べて最終的に観に行く決断をしていますが)。

↓以下は通常の(映像つきの)予告編です。


改めてこの予告編をみるとよく分かるのですが、実に贅沢な尺の使い方に思えます。

それは、音声のみなうえに時間も限られているラジオCMの、いっさいのムダをカットした、ミニマリズムな戦い方を目の当たり(見えてませんが)にしているからでしょう。

映像は使えるし、音声に加えて、文字でも伝えられるし、人の表情も盛り込める。実にリッチです。

むしろ制約が少ないがゆえに、意図的に何らかのルールをもって制約を加えていかなければ、メリハリのある予告編にはならないでしょう。

これはプレゼンにも通じます。

商品やサービスの魅力を伝えるうえで、すべてを伝えることはできないがゆえに、何を伝えて何を伝えないかの取捨選択がすべてになります。

一方、ラジオCMは、映画のCMなのに映像が使えないという最大級のハンディを負っているがゆえに、言葉での勝負に集中できるという強みが生まれます。

パワーポイントやキーノートに頼らず、口頭だけでプレゼンをするようなものです(プレゼン当日にPCの調子が悪くなり、用意してきたスライドを投影することができない、というピンチは実はチャンスで、聴衆と活発に意見交換を重ねながら口頭と板書のみで進行したほうがむしろ良い結果が得られるという怪我の功名もあったりなかったりします)。

記憶に焼きつく伝え方

さきほど「実にセオリー通り」と書きましたが、そのセオリーとは『アイデアのちから』における以下のようなものです。

つまり、アイデアを記憶に焼きつくものにするには、次のようなプロセスをたどるとよい。

  1. 自分が伝えるべき中心的メッセージを見きわめる(核となる部分を見きわめる)
  2. そのメッセージの意外な点を探し出す(核となるメッセージが言外に示す意外なことや、当たり前のようなのになかなか実現しない理由など)
  3. どきりとさせる意外なメッセージの伝え方で聞き手の推測機械を破壊する推測機械が作動しなくなったら、今度はその修正を促す

僕が耳にした「パトリオット・デイ」のラジオCMは(おそらく)まさにこのプロセスに沿って作られたはずだ、と映画を観終わってから腑に落ちました。

伝えるべき中心的メッセージ」がきちんと最初に発せられていたからです。


To be continued…

驚いたことに、驚いたこと3つのうちの1つ目を書いただけですでにかなり長くなってしまったので、続きはまた改めます。

※後日追記:すでに「続き」を書き終えましたので、それぞれ上記のリンクよりどうぞ!