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マルチタスクのストレスから解放されるために



佐々木正悟 精神分析の考え方に、無意識は共時的であり、自意識は通時的である、というものがあります。

無意識というのは内容がつまっていて、非常に豊かですが、豊かであるだけにその中身を一度に取り出す、というわけにはなかなかいきません。それは一種の「辞書」のようなもので、辞書にはたとえデジタルでも「発生時間順に言葉を並べ替える」といった機能はないですね。

一方で自意識は、時間順に言葉を取り出すほか、ありません。どんなに大急ぎでたくさんの言葉を喋っても書いても考えても、順番というものが発生します。私の意識にはいま「喋る」→「書く」→「考える」という順番で言葉が浮かびました。この順番に、必然性はありません。しかし、順番には否応がありません。同時に出てくることはできないのです。

一気にやろうとすると一気にストレスが高まる

辞書を一冊ボン!と、わたされたとしましょう。

「この辞書には、君が必ずやるべきことが、全て載っている。だから全部やるのだ!」と言われたら、とてもストレスでしょう。開いて読み始めたらますますストレスなはずです。なぜなら「やるべきこと」というのは自分に深く関係していて、自分に実行が期待されていて、しかもまだなされていないことだからです。

読んでいっても読んでいっても、そこには「ああ…これはやるべきだ」とか「ああ…これはやらないとな」とか「ああ…これまだやってなかったんだ」という項目が際限なく続くのです。律儀な人ならきっと、気持ちが悪くなってしまいそうです。

この気持ち悪さが、マルチタスクのストレスです。大量のやるべきことが書かれているリストを眺めていると、こういうことが起こります。どこから順番に、という基準がいっさいなく、とにかくすべてはやるべきことなので、つまり共時的なリストであるため、あらゆるMUSTがいっせいに襲いかかってくるのです。

もしもふだんから使っているタスクリストがこういう構造をしていたら、つまり「共時的なリスト」を用意しがちなものであれば、これを「時系列なリスト」に並べ替えるところから始めるべきなのです。

「今はこれだけをやっていても大丈夫」という想定が必要

自分にはマルチタスクができる、とか、女性にはマルチタスクができる、とかいった話とはまた、違う話です。辞書みたいな共時的タスクリストは、眺めるだけでストレスであり、その一部をマルチタスクでこなしたとしても、やっぱりストレスではあるはずです。

その心の重荷から解放されるには、リストを「この順番で片づける」という形に直すところから始めるべきなのです。そうすることで、1項目めに取り組んでいるときには、ほかの項目には取り組まなくていい、という「許し」がもらえます。この、デジタル的な0か1かの選択が、マルチタスクを強いてくるリストからの解放をもたらすのです。

マルチタスクを強いてくるリストというものは、どのタスクに携わっていても、ほかのタスクのことを意識しつづけていなければならないのです。どの項目をピックアップすべきかの基準が、もともとないからです。そこにあるのは「やるべきことの集合」でしかありません。

リストを時系列に直すというのはもちろん「入力した順」ではありません。それではほとんど意味がない。やるであろう順です。つまりそれは未来の時系列ということになります。タスクリストに求められる最低限の条件とは、これが容易にやれることです。

  • リストをやるであろう順に並べ替えられる
  • リストを未来の日付で管理できる
  • あるタスクをやるということは、他のタスクはしなくていいということを意味するように表現できる

これらのことができないと「自意識で扱うタスクリスト」としては非常に扱いにくく、ストレスフルな結果になってしまうでしょう。