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やりたいことをやるよりも、やるべきことをやるよりも



佐々木正悟 やりたいことをやるべきだ、というのは自分の属している業界ゆえんか、もうずいぶんと聞きました。いまだにそうしたい、とは思いません。もともと血の気の薄い人間だからかもしれません。

しかしだからといってやるべきことをやって生きていくべきだ、とも思いません。

私はそんなに「保守派の論客」向きの気質ではありません。なんとなくの話です。

しかし「やりたいことをやるか? イエスかノーか?」の雰囲気に生きているため、このことはときどき考えさせられます。

先日自分は「やるべきでないことをしないで」生きていたいのだと考えました。この表現は「否定の連続だからやめろ」とATOKはいちいち言うのです。

やるべきでないことをやってしまうと

やるべきでないことをしないで生きていけているわけではありません。

ですが、やるべきでないことをしてしまうと、決まってうまく回らなくなります

私がタスクシュートをやっていてよかったと思うのは、こういう時です。

やるべきでないことに、1時間も費やしてしまうと、「うう…!」となります。なりますが、タスクシュートは「1時間遅れている」ことを表示しているので、それを取り戻すなり、何かをあきらめるなり、作業を早めるなり、1つの作業についてのいいわけを関係者に入れるなり、とにかく1時間分だけどうにかすれば、元の軌道に戻れます。

タスクシュートがなかったら、と思うとゾッとするのはこのときです。

以前はタスクシュートがなかったので、そのまま混乱の極みにハマってしまっていたのです。その詳細を思い出すことすらできない。記録がいっさいないからです。

ただ、

「あーやってしまった。もう夕方だ。今日やれるはずのことはまだなにもしていないのに、もうすぐ1日が終わってしまう!」

というような気分にさいなまれていたことだけは、思い出せますが。

タスクシュートは、このまま過ごすとそういうコースにハマってしまうことを事前に知らせてくれますし、のみならず、元のコースに戻るにはどうしたらいいかも教えてくれます。

それは、私の記憶から呼び覚ませて良さそうなものなのですが、タスクシュート以前には1度たりともできたためしがなかったのですから、無理というものでしょう。ToDoリストがあろうと、タスクリストがあろうと、無理です。それらが示しているのは「なにをするべきか」であって、どういうコースで、どれからやれば、本来自分のできる「平均値」に戻ることができるか、いっさい書かれてなかったからです。

そもそも一般的なタスクリストには、自分の「平均点」についてすら、なんの記載もないのです。未来に自分がやるべきことだけしか描かれていません。

自分がくだらない時間の使い方をして、ただでさえ足りない時間を大いにムダにした(という感情)にとらわれているとき、自分がまだ1度もできたことのない理想像だけが目の前に示される。やるべきことをやる、とはそういう意味ですし、ついついやりたいことだけをやった後に来ている後悔とは、まさにその時の気分でした。

タスクシュートには、ふだんからやっていることが書かれていますから、理想像にはほど遠い現実が示されているとも言えますが、少なくとも「やるべきでないこと」は書かれていません。それが本当に「やるべきでないこと」であるなら、毎日毎日、それにどっぷり浸っていたら、さすがに対策を考え出すからです。

すくなくともToDoにせよタスクリストにせよ、あるいは手帳にしてもカレンダーにしても、そこに明らかにやるべきでないことは、書かないものです。

  • 10:00 暴飲暴食(休憩)
  • 11:00 セクハラ(予定)
  • 12:00 詐欺(予定)
  • 13:00 弱いものいじめ(予定)

少なくとも私の知る限り、こういうふうに予定を組んでいる人を見たことがありません。実体がそうであっても、当人は違う表現をとるものです。予定とは、理想なのです。

それに「やるべきでないことをしない」ということができた日は、それが決して消極的目標でないことがわかります。やるべきでないことをしないでいると、なにもしないか、あるいは、それ以上のことをするようになれます。するとかなり質の高い時間が過ごせるようになるものです。

中国には、病人に何もしないということなら、並の医者にだってできる、ということわざがあるそうです。並以下の医者は、害になることしかしていないというわけですが、私のタスクシュートの原則は、並以上の医者のように生きようとすることなのです。

私は、やりたいことをやるより、やるべきことをやるより、やるべきでないことをしないようにしています。