※当サイトはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています。

秋山好古のミニマリスト的な生き方、その先にある「突出」した成果の出し方



大橋悦夫引き続き、『坂の上の雲』からの学びです。

今回は秋山好古のミニマリスト的な生き方について。

» 『坂の上の雲』にどっぷりとひたる2017年の春

3月に読んだ本をふり返っていたら、けっこうな時間を『坂の上の雲』に費やしていることに気づいたので、この本から学んでいることを書いてみます。

『坂の上の雲』とは言わずと知れた司馬遼太郎による歴史小説。

20代の頃より「いつか読もう」と思いつつ、ようやく40代に入って取りかかることができました。

『坂の上の雲』は全8巻からなる長大な作品です。

秋山好古・真之兄弟、正岡子規という3人の主要人物の視点で明治初期の日本が時系列に語られるのに加え、関係各国それぞれの立ち位置からの視点、そして時折著者である司馬遼太郎の視点から補足的な解説が織り込まれることで、実に立体的にこの時代の空気というものが伝わってきます。


「茶碗は一つでええ」

秋山好古(よしふる)は、秋山真之(さねゆき)の兄であり、この兄弟はそれぞれ陸軍と海軍に分かれて、それぞれに大活躍することになります(ざっくり言うと)。

この兄弟はいずれも僕の目には「変わり者」に映りますが、弟の真之の目線からも兄の好古は同様に映っていたようです。

今風に言えば、秋山好古はミニマリストだったようなのです、過激なまでに。

以下、弟の真之が兄の東京での下宿先に転がり込んだときのワンシーンです。

真之は、部屋に入った。

(ざぶとんもないのか)

と、まわりを見まわした。ざぶとんどころか、調度とか道具とかいったものはいっさいなく、部屋のすみに鍋が一つ、釜が一つ、それに茶わんが一つ置いてあり、それだけが兄の好古の家財らしかった。(第1巻 p.126)

毎日の食事も、ご飯とたくあんのみの極めて簡素なもので、真之を驚愕させます。

「兄さん、これだけですか」と。

──腹がふくれればええじゃろ。

というだけの、単純な目的主義(これが生活のすべてにわたっての好古の生き方だが)によるものであり、それ以外に粗食哲学などはない。「人間は滋養をとることが大事である」という西洋の医学思想はすでに入っており、他のひともよく好古にその思想をすすめたが、

「べつだんこれで痛痒(つうよう)を感じていない」

と好古は答えるばかりであった。(第1巻 p.128)

さらに、持ちモノも必要最小限というか、必要すら満たしていない「最小限割れ」で、茶碗を一つしか持ち合わせていません。

奇妙なことに、好古は茶碗を一つしかもっていなかった。一つの茶碗に酒をつぎ、ぐっと飲むとその空茶碗を弟にわたす。弟はそれでめしを食う。そのあいだ、好古は待っている。ときどき、

「早く食え」

と、せきたてた。(第1巻 p.129)

さすがにこれは「ない」と個人的には感じるのですが、とにかくここまで徹底的に「(不必要なモノは)持たない」というポリシーを貫いているわけです。

好古はなにがきらいといっても自分が美男であるということをひとにいわれるほどきらいなことはなかった。この点でもこの人物は目的主義であり、美醜は男にとってなんの意味もなさずと平素からいっており、男にとって必要なのは、「若いころにはなにをしようかということであり、老いては何をしたかということである」というこのたったひとことだけを人生の目的としていた。

好古はそう弁じ、

「だから茶碗は一つでええ」

という。(第1巻 p.130)


余事や些事を徹底的に排除して「突出」にまい進する

とにかく目的の沿わないことは一切やらないという徹底した割り切りとこだわりです。

「人生や国家を複雑に考えてゆくことも大事だが、それは他人にまかせる。それをせねばならぬ天分や職分をもったひとがあるだろう。おれはそういう世界におらず、すでに軍人の道をえらんでしまっている。軍人というのは、おのれと兵を強くしていざ戦いの場合、この国家を敵国に勝たしめるのが職分だ」

負ければ軍人ではない。

と、好古はいう。

「だからいかにすれば勝つかということを考えてゆく。その一点だけを考えるのがおれの人生だ。それ以外のことは余事であり、余事というものを考えたりやったりすれば、思慮がそのぶんだけ曇り、みだれる」(第1巻 p.201)

貴重な気力(≒MP)を無駄遣いするな、というわけです。

» 脳はMPを節約しようと躍起になっている


↓秋山好古の人物造形は『峠』の主人公・河井継之助に通じるものがあります。

» 残った仕事を年末までに整理する方法

仕事の整理については、がんばれ社長「些事を見抜く」でも河井継之助の「些事でござる」という言葉を引きながら取り上げられていました。

●「些事でござる」とは、そんな小さなことに時間を浪費したくないという気持ちを表す便利なことばだ。
些事ではない事、つまり大切なことがあるからこそ、ささいな事に対しては、「些事でござる」と即答できる。

●そのためには、日頃から何が些事で、何は些事でないのかを整理しておきたいもの。
例えば、毎日膨大な郵便や宅配便、FAXが届けられても机の上は片付いている。なぜそうなるかというと、定期的に整理するからだ。

●時間も同じはず。
毎日新しく仕事の依頼を引き受けたり、約束を交わしたりしていく。
でも大切なことや、やりたいことに割ける時間をしっかり確保できるのは、定期的に仕事を整理しているからだ。

(中略)

些事を見抜くために時間を整理しよう。それはまず、使用時間の調査から始まるのだ。

秋山好古も河井継之助も常識人という枠から逸脱している面が否めませんが、だからこそ突出した成果を生み出せているということは言えるでしょう。

すべての面において突出することはできませんので、自分の中におけるまだ埋もれている、すべからく突出すべきポイントが何であるかを見つけ出すことが最初の一歩となるはずです。

そのための手段としては「書くこと」がやはり有効です。

↓以下の記事にあるレーダーチャートがまさに突出のイメージです。

» 『ブログを10年続けて、僕が考えたこと』を読んで、僕が考えたこと

ブログを続けるということは、自分の中において他と比べて突出したポイントを見つけ、これをさらに引き延ばしていくことではないかと考えています。
2001062801

自他ともに認めるわかりやすい突出ポイントもあれば、上記の倉下さんのように、しばらくブログを書き続ける中で「発見」できるポイントもあるでしょう。

あるいは、最初は「これだ!」と思ったポイントであっても、それは「気のせい」に過ぎず、ほかにもっと強く「これだ!」と思えるポイントが埋もれていることもあります。

そんな埋もれた突破口を発掘するためにも、やはり「続ける」しかありません。

幸いなことに、「これだ!」 → 「違った…」を繰り返すほどに目が肥えてきますから、少しずつであれ確信に満ちた自分の核心に近づくことができます。すなわち自己革新です。


参考文献:

今回の引用はすべて第1巻からでした。

同じ司馬遼太郎による『峠』の舞台は、時代的には『坂の上の雲』の前に当たります。幕末です。