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仕事に早いうちに手をつけられないのは、余裕がないから



» いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)


佐々木正悟 本書は一読に値する本ではあるが、物足りなくもある。

難点のひとつは、時間をお金に喩えているものの、その類似点に目がいきいすぎていて、相違点をほとんど無視しているところだ。

もっと大きなもう一つの問題は、「時間の欠乏」という課題に対して、解決策として「スラック」を用意せよ、というレベルにとどまっているところである。日本のライフハックに慣れている人なら「スラック」より「バッファ」という語のほうが馴染み深い。だがいずれにせよ「バッファが大事」だけでは物足りない

しかしながら「バッファの重要性」そのものは確かなので、「早めに手をつけたいのだがどうしてもそれができない」という方には、一読する価値があるだろう。

欠乏がMPを消耗させる

本書の大半は「欠乏はMPを消耗させ、結果として判断力を狂わせてしまって、ますます(経済的)貧困に当人を陥らせる」という主張とその事例に集中している。

それらの話は面白く、経済的貧困の悲惨な面もよく伝わってくる。そして、経済的貧困から抜け出せなくなる「罠」と、時間的貧困から人が抜け出せなくなる「罠」の類似点も理解できる。

著者らはもちろん使ってないが「欠乏はMPを消耗させる」というのも、本書の重要なアイディアだ。著者自身が、その「罠」に頻繁に落ち込むのだろう。時間がなくなると、些末な事件に気力を濫用せざるを得なくなり、その結果ただでさえ不足しがちな時間に、ますます追われることになってしまう。1分すら惜しいときに、「ストレス」から漫画を1時間も読みふけるようなまねをしてしまうのである。

そんなことをしていては、もちろん時間がますます足りなくなる。

しかしどうすればいいのか?

「スラック」が重要

「スラック」が重要だ、というのが著者の最大の解決案である。

つまり、「1分すら惜しい」という状況に陥ることそのものが悪いので、時間に余裕のあるうちから手をつけておいて、ちょっとくらい時間のムダをしてしまっても、そのせいで致命的ダメージを受けるようであってはならない、というのだ。

そういう余裕があってこそ、判断力が健全に働くので、時間をあまりに無駄に使うようなことをせずにすむ、という話だ。

結局、締め切り直前に時間が足りなくなる人は多い。なぜなら、その前に時間がふんだんにあった期間を無駄に過ごしているからだ。

繰り返し、著者はこの点を指摘する。

そしてこれは事実である。

「時間がふんだんにあった期間」など存在できない

いっぽうこの本で、まったく明らかにされていないことがある。

それは時間はお金と違って、節約もできなければ貯蓄もできず増やすこともできないということだ。時間とお金についての共通点だけでなく、上記の相違点をしっかり把握していなければ、時間管理はなかなかうまくいかない。

本書の言っていることは、締め切り直前になる前に、早いうちから「論文」に手をつけておけば、もっと余裕が持てたはずだということでしかない。こういうことを子供の頃から言われなかった人はいないと思うが、大人になってその通りにできている人もほとんど見かけない。

なぜか?

意志力が弱いとか、人間の弱さとか、よくもこれほど同じ言葉をただ繰り返しているだけで済まされているものだが、そういうことは関係ない。大事でもない。そうではなく、私たちはいつも何かしらの締め切りに追われている、それだけのことである。「論文」だけがやるべきことではないのだ。

「時間がふんだんにあった期間」などというものを夢見ているから、著者らは時間に追われるのである。「スラックをもとう。スラックをもとう」としているだけでは、いつまでも「スラックが持てたはずなのに…」と思うばかりで相変わらず仕事のジャグリングによって目を回しているだろう。

何もしていない時間、などというものは存在しない。また、凍らせておいて後で使うことのできる時間、というものも存在しない。したがって時間はお金のようには節約できない。「論文」を書くための時間がもっとあったはず、などというのは幻覚だ。もっと前の期間には、もっと差し迫った(とその時には思えた)大事な仕事に時間を投下していたのだ。

私たちはいつでも、どんな瞬間でも、そのときどきで差し迫った仕事に時間を投下する。それしかできない。であるならば、差し迫った仕事に時間を投下できる限り、時間管理には成功していると言ってよい

だから、差し迫るであろう全活動に、間違いなく時間を割り当てられるかどうかを、常に検討し続けなければならない。「全活動」にはもちろん、食事や睡眠やトイレなども含まれる。一時的にそれらを後回しにできたとしても、いずれは「差し迫って」来るからだ。それも繰り返し差し迫ってくるのである。

時間管理術というのは、くりかえし迫りくるであろう「全活動」とは何かを、知ることから始まる。そして、その「全活動」に割り当てられる時間が存在するかどうか、検討する術をもたなければならない。「スラック」のことを気にするのは、その後のことだ。

» いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)


▼編集後記:
佐々木正悟



他人の本を論評しておいて、その代わりに自分の本を推薦するというのは、みっともないとは思うが、それでも「いつも時間が足りない」人には次のことを検討してもらいたい。

1つには、「スラック」だの「スキマ時間」だのというものは、頭の中でどう思っていようとも、現実にそれらを活用できたということは、ないはずだということ。忙しい人や、いつも約束の時間に遅刻しがちだという人は、特にそうだ。

学生時代には「もっと勉強する時間はあったはず」と思い、大人になってから「もっとプレゼンの準備時間があったはず」と思い、「もっと家族と過ごす時間を増やしたい」と思う。しかし、いつでもそれらの「もっとあった時間」というのは、頭の中で「思っているだけ」のもののはずである。プレゼンの資料からなにから完璧に取りそろえ、「ああまだあと100日もあるじゃないか! なんて余裕があるんだ!」と思ったことが、1度だってあるだろうか?

そういうことは、あり得ない、ということを拙著の中で書いておいた。なぜあり得ないのかも書いておいた。

もう1つある。

仮に「スラック」を作ることができないほど余裕がないとしても、少なくとも時間管理のためにできることが3つある。

1つは「ロボット」を活用すること。
2つ目は時間ではなくMPを節約すること。
3つ目は、タスクと予定を分けることによって、「時間がない」事態をコントロールするか、それができなくても可視化することで、突然「時間がない!」に遭遇しないようにすることである。

これらについて「目新しくない」という人がいらっしゃるが、私の知る限り「オートマティぜーション」をタスクリストにどう組み込むかについて述べているビジネス書はどちらかと言えば希少だし、MP(認知リソース)に関する言及も多くはない。タスクと予定はほとんどいつもごっちゃにされている。そしてこの3つ全部を「タスクシュート」で一挙に扱っている本は、拙著以外に見あたらない。

「タスクシュート」という佐々木自身が行っている方法論を紹介するばかりで、かつそのために著者自身が使っているツールを紹介しているのが残念だという向きもあるのだが、なぜそれがいけないのか、よくわからない。著者が使ってないツールを紹介している方がいいだろうか?

あるいは聞き慣れない特定のツールに頼るのがいけない、ということなのかもしれないが、時計と手帳とカレンダーという「ツール」が開発され、多数の社会人が活用するようになって100年にもなろうというのに、相変わらず「時間が足りない」のである。

今まであった、誰でも知っているような「ツール」を使って、だれにでもできる「方法」に希望を託す方が、無理というものだ。「時間が足りない」問題は、そんなに簡単に解決できる問題ではない。

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