※当サイトはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています。

周到な準備で臨むか、即興で乗り切るか



大橋悦夫ちょうど10年前、プロのタップダンサーの友人(女性)がブログに以下のようなことを書いていました(Evernoteにクリップしていたものの該当の記事は残念ながらすでにネット上から消滅しているので、記事の概要を箇条書きで再現)。

  • 尊敬するタップダンサー(男性)のインプロ(即興パフォーマンス)を見た
  • 彼の言うには、インプロだと「インスピレーションが次々と湧く」という
  • しかし、と私は思う
  • 彼は今に至るまでの間におびただしい練習を積んできたはず
  • その積み上げがあるからこそのインスピレーションであろう
  • そもそも自分の中に無いものなんて出しようがない
  • 思いつきでポンポン出していくインプロより、じっくり練って、考え抜いて出すもののほうが存在価値も意義もあるのではないか
  • 思いつきでは長く住み続けられる家は建てられない
  • 長く続くものには秩序があり、秩序は思いつきからは生まれ得ない

準備なしに即興で何かを行なうスタイルと、周到な準備と計画に基づいて何かを行なうスタイルのどちらが良いのか、ということです。

まぁ、どちらもそれぞれに良さがあるので決められないとは思います。

そうなると「その中間」といういいとこ取りな発想が首をもたげてきます。少し考えてみて、これは目指すべき狭間だと感じます。どちらにも偏らない中空。

周到と即興は調和する

シリーズドラマを観ていてうすうす感じていたことですが、すべてのエピソードについて、それぞれの各シーン一つひとつを事前に詳細に脚本上で計画し尽くすわけではないでしょう。

ある程度見えてきたところで「よっしゃ、これで撮影にはいろう」となるはずです。実際にカメラを回してみて、あるいは役者にセリフをしゃべってもらってみて初めて「こうした方がいいな」という改善点が見えてくることがあるであろうからです。

特に、シリーズドラマは途中で打ち切りになるかもしれない中での制作ですから、シリーズを完結させるという最終目標とは別に、一話ごとにきちんと盛り上がるポイントをつくり、次回も引き続き観てもらうという中間目標が立ち現れます。

映画作品としては「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」、「スター・トレック」、「ミッション・インポッシブルIII」などを、シリーズドラマとしては「LOST」、「FRINGE/フリンジ」、「パーソン・オブ・インタレスト」などを監督した J・J・エイブラムスはインタビューで次のように答えています。

» 『FRINGE/フリンジ』 あのJ・J・エイブラムスに尾崎英二郎がインタビュー!

インタビュアー:『FRINGE/フリンジ』は、シーズン1より、むしろシーズン2でさらに多くのことが語られ、盛り上がりを見せますね。これは意図的だったのですか?

エイブラムス:『FRINGE/フリンジ』の物語というのは、ここへ来て、僕らが本来求めていたリズムになってきたと思う。

キャラクターの関係性や新事実などが生まれ、物語がだんだんと盛り上がってきたと感じられるのは、それを築き上げてきたからなんだ。一番の盛り上がりから物語をスタートさせようとしても、必ずしもそうは作れない。

どんな物語にも、始まりと終わりがあるよね、”第2幕”というのは何かのターニングポイントであったり、何かが発覚するような出来事が起きたりする。
それが今、僕らの立っているところさ。

というわけで、「盛り上がり」というものは周到では用意しきれないようです。

引き続き同記事より。

インタビュアー:ストーリーは、どのくらい先まで考えられているものなのですか?

エイブラムス:沢山考えて準備しているね。しかし、ショウを作っているときには方法論がある。

それはね、物語が進む毎に僕らは何かを学ぶ、ということさ。ショウにとって何が必要で、何が適し、何が適さないかがその行程で判ってくる。そういう意味では、どこに辿り着くかというのは、完全には予測はできないんだ。

考えもつかなかったアイデアが、突如として湧くこともあるからね。
キャラクターがどう機能していくかということもその1つさ。

つまり、周到に全体構成を練りつつも、即興に頼らざるを得ないところもあり、両者は相容れるもの、もっといえば調和するものといえるかもしれません。



周到なき即興はあり得ない

アラフォーな方ならよくご存じの「8時だョ!全員集合」というコント番組におけるザ・ドリフターズは入念なリハーサルを繰り返す、まさに周到の極みでした。

「8時だョ!全員集合」(1969~1985年)の裏番組として後から始まった「オレたちひょうきん族」(1981~1989年)は、この対極に位置し、以下のように対比されています。

» ドリフが「ひょうきん族」に負けた日

 ブームで名を売ったビートたけしや島田紳助らがそのまま横滑りする形で出演した番組のコンセプトは、アドリブを重視した即興的な笑い。それは当時、いかりや長介率いるザ・ドリフターズの看板番組として、圧倒的人気を誇った「8時だヨ!全員集合」(TBS系)へのあからさまな「挑戦」だった。

 当時の「ひょうきん族」プロデューサー、横澤彪(たけし)=故人=は生前、次のように語っている。

 「僕が特に気を配ったのは、漫才という笑芸をどう新しく見せるかでした。言い換えれば、吉本の漫才師たちが築き上げた話芸をいかに解体し、キャラを引き立たせるかに苦心したということです」

 横澤が求めたのは「芸」ではなく芸人の「キャラクター」。入念なリハーサルを繰り返し、お決まりのオチに向かって突き進む「ドリフ的笑い」とは一線を画した新しいスタイルを確立することで、ひょうきん族は盤石の“王者”を完全に抜き去った。

 「冗長な部分、ウケてないところはどんどん編集を入れましたね。テレビは食事をしながらとか、本を読みながらとか、いつも何かを『しながら』見る媒体ですから、視聴者の耳目を引きつける演出が必要だったんです」

周到の「ドリフ」に対して、即興の「ひょうきん族」という構図です。生放送と録画放送という違いもありました。

そう考えると、撮り直しの利かない「ドリフ」は即興に向きそうなのに周到にひた走り、むしろ必要に応じて編集を入れられる「ひょうきん族」は周到にいけそうなのに即興を追求するというねじれがあって興味深いです。

さらに、別の角度からの分析記事がありました。

» <放送作家40年・日本コント史の裏側>「ひょうきん族」と「全員集合」は視聴率争いなどしていなかった

同じ頃に『8時だョ!全員集合』(昭和44年開始)の時代もやって来ていた。ザ・ドリフターズ主演のお化けコント番組だ。生放送の屋体崩し、練りこまれた台本、入念なリハーサルは、日本中の子供たちのこころをわしづかみにした。ザ・ドリフターズの演るコントが「コントの王道」になった。

この頃、筆者は、「私がコントなんか演るわけないじゃないの。人に笑われることなんて、やんないわよ絶対」という設定のアイドル歌手のコントを書いたことがある。

昭和56年『8時だョ!全員集合』の裏番組として『オレたちひょうきん族』が始まった。よく、アドリブのおもしろさ、稽古しないひょうきん族と言う点で全員集合と比較されるが、厳密には違う。

全員集合は稽古をして稽古の成果を見せる。ひょうきん族は稽古をして稽古をしなかったように見せる。その違いである。筆者はひとり早くスタジオ入りしたビートたけしが、セットの前でなにやらじっと考えているところを何度も見たことがある。

ただ、多くのコント上手が集まっていて、稽古をすると面白いところが稽古で出てしまって新鮮味がなくなるので「稽古。止め、やめ」ということになることもよくあった。

後半の「全員集合は稽古をして稽古の成果を見せる。ひょうきん族は稽古をして稽古をしなかったように見せる」というくだりは巧みなレトリックもあいまってハッとさせられます。

即興であろうと周到な準備なしにはなしえないのです。



周到を即興が乗り越えていく

「浦沢直樹の漫勉」というNHKのテレビ番組があります。『20世紀少年』などでおなじみの漫画家の浦沢直樹さんがゲスト漫画家の執筆映像(固定カメラで撮影)を見ながら対談するという番組。

僕が観たのは『うしおととら』の藤田和日郎さんが出演する回でしたが、驚かされたのは下描きをほとんどせずに、いきなりペン入れをしていくスタイル。

» 藤田和日郎 | 浦沢直樹の漫勉 | NHK

──とりあえずペンを先につけちゃう。「形にするのはホワイト(修正)があるから」って。あまりにも白紙に対する恐怖があるから、「とりあえず早く原稿にインクをつけたい」って気持ちがあるんですよ。すごく弱い気持ちなんです(笑)。この白紙をやっつけるかどうかにかかっているような気がするんですよね。(藤田)

──鉛筆で描いているのは、やっぱりあくまで下描きなんですよ。それでペンを持つじゃないですか。で、こう描いた瞬間に、それが覚悟の線になる。下描きなんていうものは、いくら描いても下描きなんです、覚悟がないから。(浦沢)

──そうですね。(藤田)

ここにもまさに周到と即興の“競演”が見て取れます(やがてそれが読者を魅了する“饗宴”となっていくわけです)。

ここでは周到にあたる下描きが「いくら描いても下描きなんです、覚悟がないから」と、ややおとしめられています。そして、下描きのないところにいきなり、まさに即興で描かれるペンによる覚悟の線が本線になる、と。

実はその後も「ホワイト(修正)」という“魔法”でどんどん覚悟の線を修正できてしまうのですが、ここはまさにテレビ番組の編集に近いニュアンスを感じます。ベストな「線」を残せるからです。

言ってみれば、周到はそこそこに、即興を重ねることで、まるでそれが当初からの周到であったかのように仕上げていく。

そして、このような描き方もやがては本人にとっての周到なスタイルになっていく。ここまでくると、何気なく繰り出される即興の中にも秩序が芽生え、即興でありながら周到がそこに根づくようにも思えます。

以下では「ゴルゴ13」のさいとう・たかをさんが、ゴルゴ13を描くまでの動画が公開されているのですが、さいとうさんもまた、下描きはほとんどない(顔の輪郭のみの)状態から、いきなりペンでどんどん表情を描いていくスタイルで、圧倒されます。これぞ周到なる即興です。

» さいとう・たかを | 浦沢直樹の漫勉 | NHK

saito-w600



まとめ

まとめといいつつ、まとまりませんが、この記事を書くためにいろいろな記事を読んだり、Evernoteの中を探索する中で、数々の新発見や再発見に恵まれました。

特に、Evernoteについてはいつものことながら「あぁ、こんな記事を確かにクリップしたっけなあ!」という感慨にふけったり、「ここでようやく出番がきたか!」と快哉を叫んだり、実に楽しい再発見の時間でした。

一方、新発見については、「漫勉」の藤田和日郎さんの以下の言葉が何と言っても心に刺さりました。

» 藤田和日郎 | 浦沢直樹の漫勉 | NHK

──とりあえずペンを先につけちゃう。「形にするのはホワイト(修正)があるから」って。あまりにも白紙に対する恐怖があるから、「とりあえず早く原稿にインクをつけたい」って気持ちがあるんですよ。すごく弱い気持ちなんです(笑)。この白紙をやっつけるかどうかにかかっているような気がするんですよね。(藤田)

(中略)

──1コマを1日目に描いたら、2日目に描くのは2コマ目からでいいわけですよね。だから、ちょっとでもとにかく描いていけば。(藤田)

──白紙にしとくといつまでも白紙。とりあえず埋めちまえっていうやつ、ありますよね。(浦沢)

──そうです、そうです。そしたら漫画家になれました。(藤田)

この「とりあえず早く原稿にインクをつけたい」という気持ちこそが仕事を前に進めるのだ、と。これは即興というより速攻でシュートですね。