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まとまらない考えでもとにかくEvernoteに入れておく

大橋悦夫以下の記事を読みました。

» ブログ、Evernote、情報カード

願わくば、ある種の原稿を書こうと思い立ったとき、それに関する自分の過去の着想をきれいに引き出せるような情報環境が欲しい。それは「未使用」と「使用済み」といった単純な切り分けでなく、「使用済みだが展開の余地がある」といったものも含まれている必要がある。

言うまでもないが、現状の情報整理環境でも十分な状態は維持できている。「既知との遭遇」がなくても、原稿は書けていたし、それでクオリティにおいても問題は生じなかった。が、私の知的好奇心は歯がゆい思いをしている。

というわけで、以下の続きです。

» たった一度でも考えたことはブログに書いておくと思い出しやすくなる

9年前に自分が書いた記事を再読し、「あぁ、確かに考えてた!」ということを思い出すことができました。

同時に、この考えに触れることでまた別の考えが浮かびました。

これについてはまた改めて。

ここで浮かんだ「別の考え」とは、まさに「自分の過去の着想をきれいに引き出せるような情報環境」に関することでした。

この記事の中で、

この「なんか考えたことがあるような気がする…」という引っかかりを感じたとき、それをたぐり寄せる手段を持っていると、過去の自分の考えをもとに新しい考えを接いでいくことができるようになります。

この「たぐり寄せる手段」の要件としては、以下の通り。

  • 一箇所にまとまっていること
  • 検索が可能であること

この2つの要件を満たすものが2つあります。1つはEvernoteでもう1つはブログです。

と書きましたが、今回はEvernoteの話です。

発想の順序

冒頭の記事を読んだのは、2016年5月22日で、「あぁ」と思ってEvernoteにクリップしたのが同日の15:06(Evernoteのノート作成日時)。クリップしたときのEvernoteのノートタイトルは「リポジトリ化構想」。



このノートタイトルはクリップ時の「あぁ」の内容を思い出すためのキーで、その時点で明確な意図がありました。すなわち「同じようなことを考えたことがあるぞ、確かリポジトリ化構想というタイトルで見つけ出せるはずだ」というもので、それが「あぁ」の内容です。

その「リポジトリ化構想」を見つけ出す前に、まったく別の方向から光が差し込みました。2016年5月23日のことです。それが先ほどの「たった一度でも考えたことはブログに書いておくと思い出しやすくなる」という記事で書いた内容です。

この記事の結論は「そうか、最初からブログを探せば良かったんだ」であり、この結論に到達したところで「別の考え」が浮かびます。それが「リポジトリ化構想」です。

まとめると、以下のような流れです。

  • 2016年5月22日(日) ブログ記事を読んで「あぁ」と思う → Evernoteにクリップ
  • 2016年5月23日(月) 一度考えたことがあるのになかなか思い出せない → ブログを検索したら見つかった
  • 2016年5月25日(水) 5月23日(月)の出来事をブログにまとめる → 「別の考え」が浮かぶ
  • 2016年5月26日(木) 「別の考え」をブログにまとめつつ、5月22日(日)の「あぁ」を回収(イマココ)


文章のファクトリー化

この「リポジトリ化構想」とは、10年前に書いた以下の記事が出発点です。

» 自分が書いた文章のリポジトリ化構想(妄想)

なぜそう考えるのかというと、リポジトリが特定のソフトウェアの仕様やプログラムコードを格納し、自由に取り出せる機能を提供しているのと同様に、自分が書いた文章だけを格納しておいて自由に取り出すことができるような仕組みがあれば、新たに文章を書くときに「そういえば、これは以前にも書いたことがあった!」と思っても「でも、いつどこで書いたかが思い出せない」ということで諦めざるを得ない事態を未然に防ぐことができそうだからです。

単純に自分が書いた文章をきちんと一定の場所に保存するように心がけておけば済みそうな話ですが、例えば、誰かのブログに書き残したコメントやケータイから送ったメールなど、ローカルのPCに残らないデータや「自分が書いた」という証憑が不明確なデータは網から逃げていきます。

まぁ、それはそれとして諦めるしかないのかも知れませんが、PicasaがPCの中に散らばっている画像を集めてきて時系列に並べてくれるのと同様に、自分が書いた文章が年月日順にずらっと閲覧できたら、そこから新たな発見が得られるのではないか、と思うのです。

改めて読み返してみて、まさに「自分の過去の着想をきれいに引き出せるような情報環境」のことを指していることが再確認できました。

文章を書いているその時々は常に「完成品」を目指してはいるのですが、後から振り返るとそれはその後に作られるより大きな、あるいはより複雑な文章の「部品」であったことに気づかされる。

とはいえ、「確かに、ここにあのときの文章が部品として組み込まれている!」と実感できることはまれで、多くの場合、「よく分からないけどとにかく今、この文章が書けた」という認識に留まるでしょう。

別にそれで特に問題はないのですが、一定のペースで文章を書き続ける必要が生じた場合、やや不安が残ります。

明確な意図をもって最終的なゴール(文章)をイメージし、そこに至る道筋を描き、必要な部品を集め、これらを最小限の試行錯誤で組み上げていく。

そのためにはどうすればいいか?

これについても、すでにブログに書かれていました。やはり10年前に。

» 考える作業を前に進めるために

ところで、個人的に、ラーメンズという2人組のコント(というよりアートに近い)をDVDでよく観るのですが、彼らの本『ラーメンズつくるひとデコ』の中に以下のような一節があります。

“笑い”って物理とか数学に近いものだと僕は思ってるんです。ラーメンズには誰にも見せられない“取扱説明書”があるんですけど、それ一冊あれば、その都度シチュエーション、人格、笑いの種類、時間を選んでいけばあらゆるコントは書けてしまうんですよね。

結局締切のある仕事をしているので、感性とか閃きでやってると打ち止めになると思うんですよ。言うなれば、ラーメンズは工場〈ファクトリー〉なんですね。

これを読んだとき、自然と自分の仕事との関連が思い浮かびました。最近は、文章を書く仕事が多くなってきている中で、思いついたときにだけ書くのではなく、決められたペースで書き続けるためにはどうすればよいか、という課題に対する一つの答えだと感じたわけです。

これをきっかけに、ある「仕組み」を作って、何とか毎日書き続ける体制を作ることができたのですが、仕事から離れて、モードとしては趣味で読んでいた本だったため、このような発見があったのは意外でした。


まとめ

常に「完成品」を目指す必要はなく、最低限の動きが確認できるレベルの「試作品」をとにかく出していくという感覚。

この「試作品」づくりを重ねていく中で、「最低限の動きが確認できるレベル」というものが具体的にどの程度のものなのかが自分の中で明確になり、必要な材料集めのプロセスが最適化され、材料の選定と加工と組立の技術が洗練され、最終的にはラーメンズのいうところの「工場〈ファクトリー〉」ができあがっていくのだろう、と思います。

そこに至るまでの間は、まとまらない考えでもとにかくEvernoteに入れておくこと。そうすることで「過去の自分の考えをもとに新しい考えを接いでいく」ことができるからです。