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記録を続けていると、そこに近道が現れる



大橋悦夫記録をとる目的はこれを「ふり返る」ためですが、続けることで別の効用も得られます。

それは、記録対象と自分との関係が浮き彫りになる、ということ。

そもそも、記録される対象というのは、少なからず自分が関心を寄せているものであるはずです。

分かりやすい例が写真です。気になっているから撮るのでしょう。写真として残すことで、あとでふり返ることができます。気にならないならスルーするはずです。

つまり、自分が撮った写真には何かしら自分の関心を引くものがあった、ということなのです。

文字の記録でも同じことがいえます。

わざわざ記録に残すくらいだから…

何時から何時まで何をしたのか、あっさりとしか書かれないものもあれば、より具体的な行動内容が所感とともに詳しく書かれる場合もあるでしょう。

後者のような記録から読み取れることは、その活動に投じる時間を増やしたい、あるいは逆に減らしたい、といういずれかの兆候です。

とにかくその活動を「何とかしたい」と思っているのです。

記録の濃淡によって、自分の時間の使い方が目に見えるようになるわけです。

重要だと思っていたことでも、それについての記録が薄ければ「重要だと思うべき」という思い込み(あるいは誰かの刷り込み)に過ぎないかもしれません。

逆に、記録がやたらと濃いということになれば、無意識のうちにその活動に対して優先度を引き上げているという証拠になります。

こういう時間を増やしていくと、時間の使い方における「しっくり度」がアップするでしょう。

「しっくり度」をアップさせて、どうするの?

記録を続けていくと、記録が濃くなる活動というものが浮かび上がってきます。

このことは、あることを見つける上で役に立ちます。

» 任天堂・岩田氏をゲストに送る「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」最終回――経営とは「コトとヒト」の両方について考える「最適化ゲーム」

だから,「“労力の割に周りが認めてくれること”が,きっとあなたに向いてること。それが“自分の強み”を見つける分かりやすい方法だよ!」って,いつも学生さんに喋ってるんですね。「さっさと得意なことが分かった方が,人生はいいぞ!」って話なんですが(笑)


また、ほぼ同じことを、ドラッカーも述べています(『創造する経営者』)。

「他社はうまくできなかったが、わが社がさしたる苦労もなしによくできたものは何か」を問わなければならない。同時に、「他社はさしたる苦労もなくよくできたが、わが社がうまくできなかったものは何か」を問わなければならない。


記録が濃くなるということは、その活動に対して少なからず思い入れがあるわけですから、それが自分にとって「得意」なものである可能性が高いといえます。

あとは、この活動の成果について「周りが認めてくれる」かどうかを確認します。

少なくとも「自分にとっての“労力の割に周りが認めてくれること”っていったい何だろう?」と漠然と考えるよりも、少ない手数で“答え”に近づくことができるでしょう。

記録が濃くなるということは、それだけ他の活動をさしおいて、その活動に優先して時間とエネルギーを投下しているはずだからです。

人に見つけてもらうのではなく、自分から見つけに行く

この、自分の得意を見つける → 周りが認めてくれるかどうかを確認する、という二段階方式は、13年前に読んだ以下の記事にインスパイアされています。

» 049. 起業家として生きるという「合理的な選択」(リンク切れ)

自分の好きなことを積み上げてみる。
「これだったら日本一かも!」というものが見つかったら、それを受け入れてくれそうな場所を探す。
そんな場所が無かったら創り出そうと試みる。
そういう試みの積み重ねが、たくまざる(あるいは巧妙に企んだ)差別化を生み出すのです。自分の能力をフルに発揮しつつ同時に他の人との差別化がしやすい点において、たしかに合理的な考え方です。

こうした、自己探求活動において記録はまさにアリアドネの糸になると思うわけです。

人生という“迷宮”をあてもなくさまよう代わりに、毛玉から糸を垂らしながら、すなわち記録を残しながら歩き回ることで、堂々巡りを避けられるからです。