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気の重い仕事も「分単位」で分解するとわりと楽にやれる

By: MattysFlicksCC BY 2.0


タスクシュートが、分単位で記録を残すのは、「何にどれくらいの時間を使っているのか」を知るためです。

タスクシュートは、がんばるためのツールではなく、がんばらないためのツールなんだよ | Designer's Cafe

佐々木正悟 基本的にこの引用に賛成です。

私はタスクシュートで仕事を始めて、かれこれ10年くらいになるでしょうか。この「分単位」について、けっこうあれこれ考えるようになり、「なぜ、分単位なのだろう?」としきりに自問していた時期がありました。

そして繰り返し戻ってくる答えが「分単位以外は、不可能だ!」ということなのです。

「秒単位に行動を分解してみる」ということも、実験的にやってみたことがあったのですが、意識はそういうふうに向かわないのです。10数秒の行動がクリティカルな意味を持つことも、あり得ないわけではありませんが、やはりどうしても細かすぎます。食事が「3000秒」とかになってくると、意味を失います。

一方で「時間単位」というのはあまりにも大きすぎるのです。7時から8時まで朝食を食べて、8時から9時まで奥さんとおしゃべりして、9時から10時まで連載を書いて、とやっていたら、食事と大事なことをあわせて、16個程度しかできないことになります。

なにより最大の問題は、「1時間の仕事」というものの、重さ、です。あまりにも重すぎます。疲れているのにこれから「1時間原稿を書く」なんて考えるだけでも気が重くなります。

かといって、「これから30秒だけ本を書く」というのは、やはり間抜けすぎるのです。30秒間、原稿に向き合ったところで、一歩間違うとワンフレーズすら書けません。さすがにそれでは、何かした気にはなれないものです。

結局、分単位

結局、「分」しか、ないのです。「疲れるかどうか」というところまでしかやらないという、なかなか怠惰な自分の要求を容れてくれるのが分単位です。

疲れるか、どうかと言うところまでしかやらないけれど、やっただけの甲斐は得たいという、なかなかご都合主義な自分の要求も、何とかしてくれます。

12分くらいでしょうか? それでは「1日分のノルマ」はどうにも達成できませんが、「まあ、何にもしなかったのよりはましかなあ」と自分を甘やかしつつも、納得させられます。

これが、7分とかだと、さすがにダメです。いっぽう、20分となると、もういやです。20分もガマンできないなんて、子どもか、と我ながら思いますが、同時に「子どもでもガマンできる時間すらガマンせずに仕事を進められている自分、ある意味ステキ」と変なふうに満足もできるのです。

「12分」すら、いやになる日も、なんと、あります。しかし、これを分解すれば、いけなくはないのです。

  • 6分やって
  • 5分休んで
  • 6分書く

これをあわせてわずか17分で、「今日の分の原稿を書いた気になれる」のです。分解というのは普通、仕事の内容でするものでしょうが、タスクシュートであれば、分量のみで分解できます。

そして、後になると、12分の原稿を書いた日の日数が、大きな意味を持つようになってきます。そういうこともタスクシュートを見返すとわかります。だから、「分単位」に意味があるような気がするとも言えます。

「1時間」が最小単位というのは悪夢

そもそも過去の記録に「1時間以上」しかタスクとして残っていなかったら、この実感を失うことになると同時に、1時間の時間がとれない日は、きっとタスクに手がけないでしょう。

12分の原稿執筆では、5日かけてようやく1時間ですが、5日間サボってしまうと、原稿の「続き」を書くのが非常に難しくなるのです。それよりは、12分ずつ5日間、毎日書き続ける方がずっと進捗状況は望ましくなります。

というのが、分解して仕事を進める「正当な」理由づけですが、実際に手がける際には、体調や気分の悪さゆえ、そもそも「1時間」なんて仕事に手がける気には、めったにならないものなのです。

にもかかわらず「1時間」というのは、「時間単位」で見れば最小の単位です。「1」ですから。これが最小単位というのは、あまりにもきついのです。

(0.5などにすればいい、という意見もあるでしょうが、それをするのであれば「分単位」でOKなはずです)。


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