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『理科系の作文技術』の「序章」を読み返す

By: Sarah SammisCC BY 2.0


倉下忠憲ちょっとしたきっかけがあり、久々に『理科系の作文技術』を読み返しておりました。

» 理科系の作文技術 (中公新書 (624))


私がこの書物の読者と想定するのは、ひろい意味での理科系の、わかい研究者・技術者と学生諸君だ。これらの人たちが仕事でものを書くとき──学生ならば勉学のためにものを書くとき──役立つような表現技術のテキストを提供したい、と私は考えている。


「わかい研究者・技術者と学生諸君」でなくても__たとえばブロガーであっても__、本書から汲み取れるものがたくさんありそうです。

何かを説明する文章を書く上で、一体何が大切なのか。本書を通して読めば、その要諦が掴めます。

特に冒頭の「序章」には、要点が濃縮されています。11ページほどしかありませんが、赤線を引いてある箇所が一杯ありました。

今回は、私が赤線を引いた部分を中心に本書の「序章」を紹介してみましょう。

読者を想定する力が、書き手の力である

「理科系の仕事の文書を書くときの心得」として以下の2点があげられています。

(a) 主題について述べるべき事実と意見を十分に精選し、
(b) それらを、事実と意見とを峻別しながら、順序よく、明快・簡潔に記述する


たった二行ですが、ものすごく難しいことが書かれていますね。

まずは、(a)__内容の精選について。

一見「述べるべき事実と意見を十分に精選」するのは、簡単そうに思えます。しかし、一体何が「述べるべき」事柄なのでしょうか。書き手が価値があると感じたことでしょうか、それとも何かの基準点を超えた質の高い情報でしょうか。それとも、別の何かなのでしょうか。

必要なことは洩れなく記述し、必要でないことは一つも書かないのが仕事の文章を書くときの第一原則である。何が必要かは目的(用件)により、また相手(読者)の要求や予備知識による。その判断に、書く人の力量があらわれる。


「述べるべき」事柄は、一定でもなければ、自明でもありません。書き手が読者のことを考えて判断するのです。
※似たような話は結城浩さんの『数学文章作法』でも≪読者のことを考える≫という表現で登場します。

何かを説明するための文章というのは、誰かに説明できたときはじめて用をなしたと言えます。つまり、「読み手がいて完成するもの」なのです。そう考えると、読者のことを考える、という配慮は当然と言えるでしょう。

「必要なことは洩れなく記述し、必要でないことは一つも書かない」

これはあたりまえの心得に思えますが、「読者にとって必要なことは何だろうか?」を考えるという、難しい作業が含まれています。

事実と意見 思考と文章

次に、(b)について。こちらには複数の要素が含まれています。

「事実と意見と峻別する」__つまり、これは「事実」であり、ここからは「意見」、といった区切りを明確にする、ということです。

言葉として「事実」「意見」と書けば、まったく別物で混じり合う可能性など無いように感じられますが、文章を書いていると、それらの区別は簡単に曖昧になってしまい、意見がいつのまにか事実であるかのように話を進めてしまう場合があります。そうして組み立てられた「論理的な文章」は、そうとうに危なっかしいものです。

が、これは心がけ__特に読み返し時の心がけ__である程度対応できます。問題は「順序よく、明快・簡潔に記述する」の部分。誰しも、「混乱気味に、わかりにくく・複雑に記述しよう」などとは考えないはずですが、世の中の文章には、そういった様相を呈したものが少なくありません。

おそらく「考えていることを、そのまま書いて」しまったのでしょう。

ロジカル、ということ

人間の思考というのは、だいたいにしてとっちらかっているものです。はじめから一本の直線のようにまっすぐ思考を進めていける人は稀な存在でしょう。

自分が何かを考えている状況を想像してください。あれやこれやと連想が浮かび、似たようなことをグルグルと巡りながら、論理だけではなく、感情も含めて同時的に思いが浮かんでくる。こんな感じではないでしょうか。頭の中にある思考は直線的ではありません。だからこそ、マインドマップが思考を吐き出す手法として優れているのです。

しかし、文章は直線的なものです。ここに齟齬があるわけです。だから、文章を書く際は、文の並びに意識的にならなければいけません。

「序章」では、記述の順序について以下のように書かれています。

一つは、文章ぜんたいが論理的な順序にしたがって組み立てられていなければならないということだ。一つの文と次の文がきちんと連結されていて、その流れをたどっていくと自然に結論に導かれるように書くのが理想である。


「論理的な順序」と聞くと、ちょっと身構えてしまう人もいるでしょう。論理学的な何かを用いる必要があるのではないか、そんな気がするわけです。でも、これはそれほど大げさな話ではありません。以下は著者の木下さんのお話を紹介したnoteです。

» 木下是雄さんの話:ロジカルな文章とは

ロジカルであるということは、文章を上から下に読んでいったときに、すっと頭にはいってくるということだ。つまり、読んだ所までの内容がすべて理解可能であるような流れになっているということだ。前に戻って読み返さなければならないような文章や、理解できないのでとりあえず保留しておくことを読者に強いるような文章はロジカルではない。


「文章を上から下に読んでいったときに、すっと頭にはいってくるということ」

一つの文と次の文がきちんと連結されていれば、必然的にこうなります。文と文の接続に十分な注意を払えれば、読者をほっぽり出したような文章にはなりません。

ただし、木下さんが「理想である」と書かれているように、これを実現するのはそんなに簡単なことではありません。何度も何度も読み返すことが必要でしょう。

書くことは、考えること

「序章」では文と文の結びつき以外に、「順序よく、明快・簡潔に記述する」ための心得が三つ紹介されています。それを要約すると、

(a) 表現が一義的か(他の意味にとられる心配はないか)チェックする
(b) ぼかした表現を避ける
(c) できるだけ日常的な言葉を使う。また、一文を短くする

となります。

が、本当に紹介したいのは以下の部分です。

(前略)不要なことばは一語でも削ろうと努力するうちに、言いたいことが明確に浮彫になってくるのである。


これは実体験として本当によく理解できます。適切な表現を探しているうちに、自分の言いたいことがはっきりしてくる__そういう体験は数知れずあります。

一見、順番が逆のような気がするかもしれません。はっきりと言いたいことがあるから、文章を書く。この方が自然に見えます。でも、実際は逆なのです。

先ほども書きましたが、「考え」そのものは頭の中では曖昧であったり、漠然としていたりします。それをそのまま言葉で写し取れば、やはり曖昧であったり、漠然としていたりするでしょう。そうした表現を、できるだけ明瞭に、明確に、わかりやすい言葉で表現し直していく過程で、「考え」そのものの姿が浮かび上がってきます。

「書くことは、考えることだ」という言葉がありますが、この文脈でならすっきり理解できそうです。

さいごに

今回は『理科系の作文技術』の「序章」だけを取り上げてみました。つまり、実際の本ではここから本題が始まるわけです。気になる方は、ぜひ直接お読みください。

ちなみに本書は小説のための作文技術ではありませんので、そこは注意してください。

» 理科系の作文技術 (中公新書 (624))


▼参考書籍:

『理科系の作文技術』と向いている方向は同じですが、より内容をシンプルにした一冊。この本自体が、わかりやすい文章の一つの「事例」なっているのがポイントです。

» 数学文章作法 基礎編 (ちくま学芸文庫)


▼編集後記:
倉下忠憲



そういえば『理科系の作文技術』の最後の方に、原稿の校正記号が掲載されていました。まったく畑違いのところから物書きになった私にとっては、非常にありがたかったことを思い出しました。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。