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茂木健一郎が答える―どうすれば、「やりたいことがやれる」ようになるのか?

1.入力と出力のバランスを取る
2.仕事を早めにリリースする
3.情報整理より知的創造
4.身体を使う

茂木健一郎『脳を活かす仕事術』より

1.入力と出力のバランスを取る

本書の「キモ」は冒頭に来ます。「入力」(感覚系から、情報や刺激を脳にインプットすること)と「出力」(脳を活用して仕事や作品などをアウトプットすること)のバランスをとれ、と茂木さんは冒頭で主張しているということです。

バランスをとれ、というからには、バランスがとれていない人が多い、と主張しているということでもあります。著者はその実例として、かつての自分自身をあげています。

 感覚系の学習が進みすぎてしまうと、より完璧な出力を求めるようになってしまいます。そこで運動系の訓練を怠っていると、「理想とする状態」と「実際の自分のアウトプット」との間に大きなギャップが生まれ、苦しくなってしまうのです。この苦しさは、時には、行動意欲を減退させることになりかねません。
 大学・大学院時代の僕がまさにそうでした。
p26

ここで感覚系(入力系)と言っているところは主にどこで、運動系(出力系)と言っているところが主にどこであるかについて、ほとんど言及されていません。(感覚系は広く分布しているとして、運動実行系は、茂木さん著書のイラストでは、前頭葉付近と考えられますが。)しかし、この「感覚入力」と「運動出力」のギャップがひどいと、行動意欲が減退するという指摘は、私たちの経験によく合致するでしょう。

人の意見の評価・分析に長けているからと言って、説得力のある自説を展開できるとは限りません。もっと単純なところで、人の歌を聴いてうまいか下手かは簡単にわかっても、自分がうまく歌えることにはならない、ということです。

そうした場合、いざ「あなたの意見を言ってください」と言われると、立ち止まってしまうかもしれませんし、自分は歌いたくない、と思っているかもしれません。

2.仕事を早めにリリースする

上記のような状態に陥ったときの解毒剤が、これです。下手でもダメでも出していく。そうすることによってしか、「出力系」を鍛えることはできない、というわけです。

リリースというのは、野球などでもよく使われる言葉で、もとの意味としては「放出する、解放する、逃がす」というような意味があります。作品や仕事を脳の中に「閉じ込めて」おくから、緊張して苦痛になるわけです。しかし、たくさんの情報によって鍛えられた脳は、それを「成果物」としてリリースしたくない。

・人様にお見せできるものに仕上がってない

というわけです。これは大事な考え方だとは思いますが、同時に、最終的にリリースすることもできない「未成果物」を閉じ込めとくことは、すでに述べたとおりで「苦痛」なのです。

苦痛を感じ包み成果物を囲い、最終的にはリリースせずに、闇に葬ってしまう。これを繰り返していると、いつか未成果物すら作る気にならなくなるでしょう。苦痛なだけなのですから。

するとますます「情報入力」に活動が偏倚してしまわないとも限りません。形を志向して創造し、それをリリースするというプロセスによってしか、出力系が使われることはなく、使われない系は、鍛えられようがないのです。

3.情報整理より知的創造

少なからぬ仕事術やライフハックスまで含め、一般に「知的生産系の本」というものは、整理法に終始しがちになります。というのも、本で創造の仕方を語り、それを読者に押しつけるというのは、うさんくさいし押しつけがましいと、一般の著者は感じるからでしょう。

情報整理には、様々な工夫の仕方があるし、それは知的生産や仕事の助けにはなるでしょうが、問題は、効果が仮に100倍になったとしても、生産効率が100倍になるということは、まずない点です。

整理法で有名な野口悠紀雄さんは、「資料や情報の整理が実際の仕事に役立つのは、経験的に5〜10%。統計学では5%以下の事象はとりあえず無視してよい出来事とされているので、そういう意味で、資料の整理とは無意味一歩手前の作業」と指摘しています。

整理は、掃除とよく似ています。それによって仕事や家庭生活に、即時的に大きなメリットをもたらしてはくれないのです。ただ、長期にわたってサボっていると、非常な不都合をもたらします。この不都合を未然に防ぐのが、この場合の整理の役割でしょう。

だから、あまり情報整理に没頭し、労力と時間をかけすぎても、「知的創造」の足しにはならないわけです。「情報整理マニア」になってしまうのは、結局出力という本来の仕事を避ける格好になりがちです。おそらくは情報入力を好む現代人として、よりそれを効率的にしたいという衝動の表れなのです。

4.身体を使う

身体を使うことは、運動出力そのものです。本書では、机から立ち上がることや、散歩などのちょっとした運動によって、アウトプットのきっかけ(発想)が得られる理由を、脳の出力系が刺激されるということに絡めてとらえています。

脳の話とはべつに、野口悠紀雄さんも散歩がアイデア支援になることを、体験的に語っています。最近刊行された、『超「超」整理法』にも次のような下りがあります。

具体的な方法の第二は、歩くことだ。仕事がゆきづまったときに公園を散歩すると、うまい考えが出てくる。散歩は、「疲れ休め」という消極的なものではなく、積極的な活動である。机にかじりついているばかりでは、良い考えは浮かばない。研究室や書斎は考えたことを書きとめる場所であって発想の場ではない。本を読んだり原稿を書いたりするのは書斎や研究室だが、アイデアが生まれる場所はそこではない。
p252

野口悠紀雄『超「超」整理法 知的能力を飛躍的に拡大させるセオリー

まとめ

「感覚入力系」と「運動出力系」というものが、「直接につながっていない」という言い方は、結局のところあいまいさがぬぐいきれません。しかし、切り口として面白いですし、ひとつの励みになるとは思います。

茂木さんも書いていたとおりで、自分の文章を、夏目漱石と比較したくないのは、自然なことです。プロのアーティストもオペラ歌手もいるのに、何も自分がカラオケに行かなくても、と私なんかもよく思ったものでした。

しかし「鑑賞」だけで生きていくわけにいかないのもまた事実です。それに、自己批判が肥大化してしまって、「出力」したいのにそれを無理に抑え込むというのは、もったいない話でもあります。

自分一人しかみてないところでも、訓練のためでも、とにかく使わない脳力は発達しようがありません。上記のような乖離に自覚がある人であればなおのこと、「目的はともあれ、アウトプットする」と意識するのはきっと良いことに違いありません。

脳を活かす仕事術 脳を活かす仕事術
茂木 健一郎


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