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きらいなものを、好きになることもできる

「ものの見方を変える」などというと、どうしても「抽象論」と思われるらしく、納得してもらうのが難しいようです。場合によっては「精神論」などともいわれてしまいます。

確かにそういう面もありますが、しかしことさら「精神」や「根性」に頼らずとも、ものの見方が自然と変わることはあります。父は歌を歌うということそのものがきらいで、人前で歌うなど、「前後不覚になるほど酔っていても、やらされれば一発で覚めてしまう」というほど忌み嫌っていましたが、あることをきっかけに「マイクを離さない人一歩手前の男」になりそうでした。

「あること」とは要するに、試しに歌の練習をするため、「一人でカラオケをやってみたこと」です。じつに凡庸な話です。(少なくとも私はそう思いました)。父は特別なんの「根性」も発揮していません。付け加えるとこの話は、非常に具体的です。

ブログが続く理由

2007年12月10日の大橋さんの記事を読んで、私自身、ブログが続いている理由を考え直してみました。そうすると、ブログが続く理由は決して「首尾一貫」しているわけでも、「ブログを書くことが大好きだったから」というわけでもなかったことに、思い至りました。

ブログが続く理由は、様々でした。たとえば、「承認欲求」が満たされるゆえ、ということもあります。人に認めてもらえれば、誰だってうれしいものです。

とは言え、全然誰にも「認められているとは思えない」ことだってあります。そういうときには別の動機が頭をもたげました。たとえば、「ブログのおかげで仕事が来ている」と思えること。「思える」だけではなく、事実そうした仕事もあります。

はたまた、自分の知識のデータ・ベースとして使えること。他の誰にも興味が持たれないブログでも(実際には、そういうブログはまずないのですが)、少なくとも自分の興味を強く反映しているわけです。自分の興味あることが――私の場合には心理学について――えんえん記述されているブログは、少なくとも私にとっては読み返すだけの価値があります。だからつけ続ける価値もあるわけです。

そのほか、単純にたまっている記事が整然と並んでいるのを眺める自己満足。書き続けねばという強迫観念。自分が、理想とするブログ像に近いものを、徐々に構築しつつあるという、一種の空想(あるいは妄想)。アフィリエイトによる小遣い稼ぎ。などなど。

以上すべての理由が、ブログ継続のモチベーションを支えてくれます。見た目上は、一貫した「ブログ」を連日更新するものですから、同一の動機に引っ張られているように見えるかもしれませんが、内実は種々様々な動機が入れ替わりで、出たり引っ込んだりしているのです。

挫折しないで済む理由

そんな不安定な動機で支え続けられてきたものである以上、挫折する危険も頻出したわけです。その最大の理由は、理想のブログと現実に出来上がるブログとの、なかなか埋められないギャップです。

なお、ここで言う「ブログ」とは私の「ライフハックス心理学」のことです。この記事を掲載している「シゴタノ!」ではありません。大橋さんが作成されたこの「シゴタノ!」の理想像が、私に分かる道理がありません。ですが、私自身のブログは、なかなか私の理想イメージを反映したものになってくれないのです。

理想通りのイメージになってくれていないのに、私は「ライフハックス心理学」を続けることができています。その要因は、自分が自分のブログを好きになってきたからです。好きになれた理由は逆説的にも、好きになれるもっともな理由がないからです。

私のブログは私に、十分な金銭をもたらすわけではありません。仕事のきっかけを次々にもたらしてくれるわけでもありません。テレビで取り上げて、みんながもてはやしてくれるわけでもありません。すでに述べたとおり「理想のイメージ」を反映しているわけですらないのです。

つまり、「なぜブログを続けているのですか?」と問われたとき、「これっ」という理由が見つからないのです。自分にも他人にも一言で納得させられるような、究極の理由がみあたりません。だから、仮に続ける理由を問われると、色々喋ることになります。

・読んでくださっている人に楽しんでもらいたい(とは思います)
・なけなしのお金でも入ってくるだけありがたい(とも思います)
・仕事につながることもある
・あとから読み直してみて「自分にはこんなことも書けるんだ」と思えることがうれしい(という面もあります)
・単純に備忘録として(という側面もあります)
・続けることで自分の仕事にリズムをもたらす(この面も捨てがたい)

以上はすべて本当です。しかし、あれこれ喋るということは、結局「これ」というたった1つの、究極の決め手が見つかっていないから、とも言えるのです。

「なのに」続ける。実はこの「なのに」こそが、心理学用語でいうところの「認知的不協和」です。人間というのは理由に弱いもので、もっともな理由があると、すぐその理由に寄りかかってしまいます。

「お金になるからブログを書いているんだ!」というのはきわめてもっともな理由ですし、他人も自分もこれで十分に納得できます。しかしこういう人は、自分のブログを「好きになる」ことが、もっともな理由があるだけに、その分困難になります。

私にはそれほど明快な理由がないだけに、三百以上もの記事を書いてしまったいまでは、(実際にはもっと前から)、自分のブログを好きになる以外、選択の余地がなかったとも言えるわけです。だから自ブログが好きになれて、だからブログを継続して書けている、ということです。